理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

教えて君

「教えて君」と呼ばれる存在がいます。 なんでもかんでも「これ教えて」「あれ教えて」と、自分ではなんの努力もせず人に頼る方々に対する呼称でして、本日はなぜ教えて君が嫌われるのかを考えながら、そう考えながら、なぜか学校で目覚め、そしてセンサノードが前にあります。泣きたい。

====↓↓↓↓↓↓(時間があまってしょうがない人向き)↓↓↓↓↓↓====

結論ありきですが、おそらく嫌われる原因は、世の中の根幹を成すgive and takeのルールを守っていないからだと思います。人は問題を抱えるとその解決を図るのに時間を必要とします。難しい問題ならそれだけ時間がかかり、世の中問題の複雑さに応じて指数関数的に時間が必要になる問題も多く存在します。そういう莫大な時間を消費して解決される問題を、教えて君は破壊的な一言で解決しようとします。 「これ教えて」

問題解決に取り組み莫大な時間を消費したが解決できなかった人に、「これ教えて」といわれても頭にこないのは、同じだけの時間を解決のために差し出したからでしょう。人間、同量の労働に対しては同量の対価を期待するもので、それは自分に対する対価が不足した場合だけではなく、自分以外の人に対する対価が不足した場合にも成立するんだと思います。また、「これだけ努力する人なら、今giveしとけばいつかはtakeできる」という信頼関係も成り立つのかもしれません。

研究者などは進んで答えをgiveしようという立場をとりますが、自己完結型の人であれば達成感を、また、それに加えて周囲・そして世界から名誉や栄誉をtakeできるからでしょう。

また、「これ教えて」という破滅的な破壊力を持つ一言を発する人が友達であれば、あまり頭に来ることはありません。それはなぜかを考えると、友達という役割は、楽しさや安らぎといったものをgiveしてくれるからだと思います。

嫌われる「教えて君」は、何もgiveすることなくtakeを狙ってきます。教えて君からもらう感謝や栄誉はtakeするものに数えられるかもしれませんが、教えて君はそれらを誰にでも振りまきますから、giveする側にとってはただ働き以外の何者でもありません。結果として「死ねばいいのに」という結論にたっするわけです。

ただ、単純に「死ねばいいのに」をやってしまうと、人間関係が広がらないというデメリットもあるわけですが。

====↑↑↑↑↑どうでもいいこと↑↑↑↑↑====

というわけで、センサノードのマルチホップ通信の解決に今ぼくは膨大な時間を費やしております。費やした時間には自信があるので、解決方法が分かった方はどうか、「これだけ努力する人なら、今giveしとけばいつかはtakeできる」という信頼関係を結んでもらえるとうれしいです。ていうか、それが言いたいだけのレトリックであり、エントリであります。。ご希望であれば、からあげ定食giveできます。「死ねばいいのに」のgiveはくれぐれもなしの方向で。