理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

精神論がなぜ否定的にとらえられるのか

ていう話を考える機会がありました。

-精神論によって大戦が大変なかんじになったことを重く見たGHQ様のおかげ -なんかアツいので、出るくいになりたくない日本人からは敬遠されがち

とかいろいろな意見は見るのですが、単に問題の定義が難しいだけだからじゃね?とか思うわけです。

人と話をする上で、何の上に座した議論なのか、何を共有して話をしているかというのは重要なんじゃないかなぁと思うんですが、精神論ってそこが超曖昧な気がするのです。もちろんベースの部分を十分に共有している人同士の精神論ならすっげぇ有用なのは間違いないと思うんですが。。特に精神的な部分、大切なものであったり、何を犠牲にしても捨てられないものとかって、人によってすごい違うじゃないですか。例えばこのエントリも精神論かもしれないですが、そもそもアツいってどういうことよ、何をもってアツいって言ってんの?とか人によって違うわけです。違うものの上に議論を積み重ねても、そもそものベースが崩れてるんだから「は、こいつ何言ってんの、ちょっと頭悪くね?」とかいう哀しい結末になってしまうんじゃないかと。

「人間は考える葦である」と言ったところで、「おれ植物じゃねぇしww」とか言われたらおしまいで、それはパスカルの議論のベースを共有できてないからだと。

というわけで、精神論をする上でベースとなる部分が何かを定義するのが必須じゃないかと思うのですが、そもそも「アツい」というのをこう定義する、とかを精神論のはじめに持ってくるのはなんかめんどいじゃないですか。でもそういうめんどくささを乗り越えないと、まさに時間の無駄で、人の心に響かないんじゃね?

そういうお話を考えてたら、ほら!!時間たちすぎた!研究進んでねぇ!!生産性ゼロ。僕の時間をかえしてください。