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理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

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そろそろ鬱について一言いっておくか

enlightment

わりかし最近、このblogに気づかれた方は全然ご存じないはずの話なのだけども、ぼくは一時期軽く鬱ってたっぽくて、いわゆる精神科、今風にゆるく言うと心療内科に通っていたことがある。まー専門的なことは知らんし、心の病気ですし、一人ひとり全然ちがうんだとは思うんだけども、ここらでちょっと体験談を語っておくのも悪くないなーとかいきなし思ったので、語ることにします。


一般化はとてもできない私的なことです。そこんとこは切り分けたほうが良いとおもいます。あと、ぼくの鬱状態はとても軽かった(処方された向精神薬はかなり軽いヤツ)ことも言っとく。

「それって心の持ちよう」は無意味

それって心の持ちようじゃん、みたいなアドバイスはうつ病患者には禁句みたいな話は良く見ますけども、ぼくの場合、禁句っていうよりは無理だろそれ、みたいな感じで受け取りました。これはたぶん、熱が出てる人に「熱下げれば治るじゃん」みたいなことを言っているようなもので、それができないから苦しいんだよ、みたいな感じです。胸は押しつぶされそうになりますし、家から逃げ出したくなります。それを「気の持ちよう」でかたづけてくれるなよ、とか当時は思ってたかもしれません。

ウザくなります

周りの人が「こいつうざいなー」と思うような人間になっていきます。とりあえず聞いてくれる皆様がダークサイドに落ちていくような愚痴ばっかりです。ぼくの場合はwebという世界に垂れ流してました。「負けるなー」とかコメントもらって、「がんばる」とか返すのですけども、その翌々日にはまた愚痴ってるみたいな感じです。愚痴の内容は、自分はなんてダメな人間なんだとか言うのをつらつらウザったく書いているもので、読む人々には「なにこの構ってちゃん」みたく、たまらないものだったことでしょう。よく殺されなかったなーとか、胸をなでおろしています。今思えば、これがぼくなりのSOSサインだったんだろうなーとか思ったりしている。

助けになったこと

「心のもちよう」は無意味みたいなことを書いたのですけども、わりかしコメント、助言、アドバイスというのは励みになります。励みという言い方はあまり感情が伝わらないけども、メールだとか電話だとかメッセだとか、直接会って相談乗ってもらうとか、泣いてしまったものも多くある。内容云々じゃなくて、そういうのをもらうこと自体は、ぼくの場合、今いる環境との鎖みたいな効果でした。本気で大学辞めよっかなーとか思ってたのだけども、それって裏切りだよなー、申し訳立たないよなー、もっとがんばらないといけないよなー、みたいな鎖です。

あの頃がウソみたい

で、いまぼくはあの頃がウソみたいだなーとか思って、気楽に暮らしているわけですが、あれが不幸せな体験だったかというとそんなことはなかったなーと思ってます。自分がどれくらいの人に支えられてるとかは、あのときじゃないと分からなかったし、なんでこんなに幸せなのに、おれ今苦しんでるんだろう、みたいなことは何回もおもった。人には、見えなきゃいけないものが見えないこともある一方で、見えるべきものが見えるときというのがあるのですね。最近はなんかけっこう楽しく暮らしていますから、またそういうのが見えなくなっている感じで、良くないよなーとかは考えたりする。

書いた理由

なんか精神科に行ったことがあるというのは、社会で割と暗く捉えられがちで、ぼくもこの体験を一年前、英語プレゼンで発表してやろうとか思ったら、教師側から言わないほうが良いYo!とか言われた。この教師はぼくのためを思ってくれたためなのですけども、ぼくはその講義を受けてる人の中に、偏見を持つ人がいても構わないしなーとか思ってたし、わりかし理解してくれるんじゃないかなーとかも思っていた。だから、教師の側からstopがかかるのは少々意外なことでした。


なんかそういう偏見とかなくなって、みんなもっと気楽に、アテロームできたから形成外科行こっか、みたく気楽に、精神科、心療内科の門をたたいたほうがいいよなーとか思います。