理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

グループワークによって,自分に足りていないものが白日の下にさらされはじめている件

会社とか入ってまだ一ヶ月と経ってないんですけど,グループワークがクソみたいに多いかんじです.
現実的に考えるとクソはそれほど絶対量が多くないと思いますけど,今それは無関係ですから無視する.
大学院までずっと基本個人プレーとかで勉強とか研究とかは進められますからあんまし感じてこなかったんですけど,グループワークとかいうのはなかなかに難しいものですね.

自分の意見を通していいものか迷う

ぼくとかにも一応考える部分とかあって,やっぱし自分の意見とか嗜好とかがあるんですけど,これはどこまで主張していけばいいものなのでしょうか.
時間制約がある中で成果を上げないといけない場合,どうしても妥協みたいなのが必要になる.


じつは上に書いてあるのは言い訳が多分に含まれていて,たぶん実際のところは,「自分の意見を押し通す (押し通している) とグループのメンバから嫌われるのではないか」という部分の恐怖みたいなのがたくさん働いているんだと思います.
本音の部分でぶつかって良いものができて成果が上がるというのが一番良いシナリオであるわけで,グループワークもそれを目指さなければなりませんが,それは現実的になかなか難しいものです.
例えば「成果が上がる」という部分が欠けた場合,本音の部分でぶつかった結果としての人間関係のしこりみたいなのが残らないは限らない.
普通は残らないんだと思うんですけど,それを担保するものはありませんから,お化け屋敷が未だにこわいぼくはそういうリスクを不必要に怖がってしまっていて,すぐに自分の意見を引っ込めてしまう癖みたいなのがついている.
たいへんこまったものです!!

他人の意見をどこまで尊重していいものか迷う

多様な意見とかいうのはたいへん有用で,コミュニケーションのオーバヘッドが多く伴うグループワークの一つの利点はその多様性にあるんだろうなーとか考えています.
ところがやっぱしグループとしては一つの結論を導きだすのが普通ですから,どこかで意見を集約し,不必要な意見は捨てさらないといけない.
この意見を捨てるというのがなかなかに曲者で,意見を出した人はやっぱし,どうしても,少なからず疎外感,自信喪失,人格否定された気分を感じてしまうんじゃないかと思います.
だからといって捨てるのを怠ってしまうと,グループの意見そのものがおかしげな感じになってしまう.
もちろん個々が疎外感とか感じないように意識改革みたいなのをすると幸せになれそうですけど,やっぱしそれは難しいですね.
人の意見を否定することを禁忌とするブレインストーミングみたいなのもありますけど,集約するときはやっぱしどれかの意見は捨てないといけない.
ぼくの場合そういうのがイヤだイヤだみたいになってしまうのです.
リーダーシップを取れる人というのはそういう,人に疎外感を与えるリスクであったり,その結果反感を持たれるリスクであったりを率先して取れる人ですから,やっぱし偉いなーっておもってしまいますね.

こういうのが既にコミュニケーションのオーバヘッドだろう

コミュニケーションのオーバヘッドとかは,認識の齟齬であったり,意見の衝突であったりですけど,上に書いたことようなことを過剰に心配すること自体が既にオーバヘッドを生じさせてしまっている気がしています.無駄に.
ぼくはリスクを背負わずにグループワークに参加していて,単純化すると


ぼく「こんなのはどう?」
メンバ「こんなのもあるよ」
ぼく「あ,そっちの方がいいね」


みたいかんじです.
こういうので実質的にグループワークに貢献できているかというとなかなか微妙なものです.
リスクとコントリビューションの間にはトレードオフがある気がしていて,ぼくがグループワークに貢献するためには,リスクを背負って,嫌われることとか反感を持たれることとかを恐れずに発信していく必要がありそうですね!