理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

今年の目標

ぼくはかねてから思ってたんですけど、愚痴だったり死にたいって叫びに比べて、人の説教だったり啓発的な言葉ってスゴい薄っぺらく響くような気がしてます。みんな、そこらへんどうなの。
どうなのと呼びかけてみたものの、ここはぼくの blog ですから、べつにみんなが全員 No だろうが何だろうが先に進めるんですが、なんで説教だったり啓発的な言葉ってペラく聞こえるのかなって考えてみると、それってやっぱし過去が抜けてるからだと思うんですよね。

人への啓発って、なんだろ、自分の経験とか思考錯誤とかがあって、そこから何かを見出してはじめて言語化できるし、説明できるほど噛みくだけるようになるんじゃないかと思うんですけど、そういう経験とか思考錯誤とかの過程がゴッソリ抜けてるんじゃねーかと、そういう風に思います。ほら、立派なこと言いつつも、自分が死ぬほど悩んでる姿とか見せない人って多くないですか。スゴく希望に満ちた blog 書いてるけど、辛いときにコイツ何も書かねーし押しだまってんなーと思うような人いないですか。ぼくはスゴくあるんですよそういうの。

そして思うんですよ、見せるべきはそこじゃないんじゃですかって。どんだけ苦しんでるのかとか、どんだけ悩んでるかとか、そういうのってガンガン見せるべきなんじゃないかと思うんですよ。逆に言えば、そういう苦難とか試行錯誤とかが生で置いてあれば、説教だの啓発だのに昇華しなくたって、見た人それぞれが個々人で何かを見出せるようになるんじゃねーかみたいなのスゴく思うわけですよ。

ぼくが twitter 好きな一因もわりかしそこにあって、140 字という短い言葉のなかで、死ぬような深い悩みをスパっと言う人、言い続ける人っているんですよね。そしてそこから得られることって、ビジネス本から得られる 1 日で忘れるような自己啓発の言葉よりか、ずっと胸に残るんですよ。

今年のぼくの目標はそこに置きます。悩みや苦しみをそのまま書き下して、そこから何か得られたとするなら、それを書いていきたい。そんな 2011 年なのでした。