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理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

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こゝろ

ぼくは日々後ろ向きツイートをしているんですけども、このツイートの元ネタが分かるでしょうか。
このツイートは藤村操の「巌頭之感」の一節です。藤村操はこの文章を木の幹に彫り込んだ後、二十にも満たぬ若さで、華厳滝に身を投げました。

この一節では誰も気が付かないだろうし、後ろ向きツイートであることすら分からないだろうなーと思っていたら、きっちし藤村操であることに気がついてくれる人がいて、ぼくは柄にもなく嬉しくなってしまいました。その彼女は、藤村操を夏目漱石から知ったそうです*1。そこから、夏目漱石のお勧めは「こゝろ」であるという話になり、ぼくはまだ未読だったので、これは速攻で読まねばならんということで Amazon で文庫本をポチりました。
そういえば "こゝろ" は買うまでもなく、青空文庫にありましたね。。。。

こゝろ

この「こゝろ」が一体何を描いた小説なのか、なかなか一言では表せず、悶々とする読後感でした。
エゴイズムといえばそうなのだけれどそれだけではない。恋愛小説であるようでない。明治の精神と言われるとそうなのかもしれないのだけれど、そこに焦点を合わせると軽薄な気がする。それでも、この作品で綴られているのは、自己矛盾なのだと思います。


こゝろは、決して爽やかな物語ではありません。思った以上に濃厚で複雑な物語でした。
静かに描かれる明治という時代に対し、人間のエゴイズムと後悔が、「先生」の独白のみならず、全編を通して綴られています。かといって、ドロドロの恋愛劇という印象も受けないのは、誰もが持っている純真さと卑怯さが、信頼と猜疑心が、「先生」をどこまでも苦しめていて、むしろそこに感情移入させられてしまうからなのかもしれません。


利己主義に任せた行動と入れ替えに、心の根底に静かに棲み憑く後悔というのは、誰もが大なり小なり経験するものでしょう。
先生は叔父の自分に対する仕打ちから、自分はそういう人間にはなってなるものかという強い想いがあったのだと思います。叔父からの裏切りは、人間全体に対する猜疑心となり、「先生」を包んでいったのでしょう。そして、そんな「先生」もその人間であるお嬢さんに恋をし、そして友人であるKも同じ人に恋をし、そして先生はその友人Kを裏切ってしまう。
物語の中で生じる悲劇は、必ずしも「先生」の裏切りによる行動の結果であるとは描写されませんが、それでも、それがその後の先生の人生に暗い影を落とし、誰にもそれを打ち明けられないまま「私」との出会いを迎えます。人生の最期に「先生」がその内幕を「私」に明かすことができたのは、「先生」にとって多少でも救いになったのでしょうか。

自分の理想とする生き方と現実の前に大きなギャップを感じたのは、「先生」だけではありません。「K」も自分の理想とする道と現実の感情に、大きな矛盾を感じています。
「K」が選択する悲劇の原因がなにかについては諸々の説があるようですが、ぼく自身は「先生」の裏切りが原因ではなく*2、自分の抱える矛盾の大きさに絶望したのだと考えます。正しさなんてものは世の中には無いらしいですが、正しいものを信じ抜く「K」の純粋さと、その正しさを踏襲できない自身への絶望が、最終的に「K」に最期の選択をさせたのだと思います。

矛盾は矛盾として受け入れるのも一つの受け止め方であり、矛盾を許容できないものとするのもまた一つの受け止め方です。その結果としてどのような選択をするのかも、選択の結果としてどのような結末を迎えるのかも、また個人の自由です。「K」の選択も「先生」の選択も、ぼくには自然なもののように感じられます。
単純に "生きていればこそ"という倫理感で語るのは簡単ですが、死を選ぶという選択も、一つの優しさであり、逃げ道です。人間それ自身が矛盾を抱えているとするならば、矛盾する選択肢を選ぶのもまた、自然なことだと思います。「先生」も「K」も、そして藤村操もまた、その一人であったのかなと。

*1:夏目漱石は藤村操の先生でした。藤村操の死の一因が、夏目漱石からの叱咤にあるという説もあります

*2:一因ではあったとは思いますが