PSYCHO-PASS 2 おわりましたね。たいへんに楽しみにしていた作品でした。
おわってみると、ぼくの理解力が散漫だからか、そのストーリーの難解さに頭を抱えることも多かったので、最終回を迎えた今、そのストーリーについて振り返ってみたいと思います。
完全にネタバレになるので、「続きを読む」を設定しておきます!
ぼくとしては、やはり後半の以下の話がストーリーを追う上で非常に大きなウェイトを占めていると思います。
- 第 9 話: 全能者のパラドクス
- 第 10 話: 魂の基準
- 第 11 話: WHAT COLOR?
まず、前提となっている事柄を整理しましょう。
一期からの前提
- シビュラシステムには、平等で完璧な裁きを行う完全性が要求されている
- これがシビュラシステムが社会に必要とされ、信頼される大前提となっている
- シビュラシステムは、シビュラシステムに裁くことができない存在である免罪体質者を自身に取り込むことで、裁くことができない存在をなくし、その完全性を維持している
- シビュラシステムは多数の免罪体質者の脳をによって構成される集合体のシステムである
以上 3 点が第一期から受け継がれている大きな前提です。
二期における前提
二期において、鹿矛囲という新たな人物が登場します。この人物は次の 2 点の大きな役割を持って、ストーリーに関係してきました。
- 鹿矛囲自身は、多数の人間の臓器で構成された一人の人間であり、シビュラシステムからは多数の人間の集合体として認識される
- 鹿矛囲は、投薬と心理誘導により、潜在犯の犯罪係数を下げることができる
二期全体を通して問われている命題は「シビュラはシビュラ自身を裁くことができるのか」です。
裁けない、ということになると、一期からの前提である「シビュラシステムの完全性」が崩れてしまうので、シビュラ自身は「裁くことができる」を選択せざるを得ません。しかし、集合体であるシビュラを裁く、つまり、集合体の犯罪係数を計測するためには、「集合的サイコパス」という概念を導入する必要がありました。
集合的サイコパスを導入することのリスクは以下のように第 10 話、第 11 話などで語られています。
(第 10 話)
禾生「君は目先の目的に囚われ事の重大さを理解していない。集合的サイコパスを認めた社会がどのような社会になるかを」
常守「個人個人がクリアでも、集団として裁かれる可能性がある社会」
(第 11 話)
禾生「集合的サイコパス、遠くない将来、集団が基準となる社会が訪れる。個人としてはクリアでも、集団としてクリアでない可能性。その疑心暗鬼が混乱を招き、かつてない魔女狩り社会が訪れ、その結果、裁きは大量虐殺へと変貌を遂げるかもしれない」
このため、シビュラシステムの中では議論が行われた上で、その結論が先送りになっていました。
二期
「シビュラはシビュラ自身を裁くことができるのか」、この問いを、鹿矛囲は自分自身が社会の脅威となり、「シビュラが鹿矛囲を裁かなければならない」という状況を作り出すことによって実現します。
なぜ鹿矛囲は自身が社会の脅威となることによって、シビュラがシビュラ自身を裁く、というところに至ることができるのか。このロジックは以下の通り。
- シビュラが集合体である鹿矛囲を裁くためには、集合的サイコパスを導入しなければならない (そうしなければサイコパス(犯罪係数)が計測できない)
- 集合的サイコパスを導入すると、集合体であるシビュラシステムにもサイコパスが定義され、裁くことができるようになる
シビュラは自身の完全性を保つためにも、自身を裁くことを選択せざるを得ません。しかし、ここで一期からの前提の 2 つ目が効いてきます。
もともと、免罪体質者は「裁くことができない」と「シビュラが」判断したからこそシビュラに取り込んだにも関わらず、集合的サイコパスを導入することによって「裁ける」ことになってしまう。つまり、シビュラの判断に誤りが生じていたことになり、シビュラそのものの完全性が崩れたことになってしまう。
ぼくは、これが鹿矛囲がその命を賭けたロジック、という理解をしています。
最終的に
シビュラが採った方法は、以下のようになります。
- 集団的サイコパスという概念の導入
- シビュラ自身はこれにより執行対象となったが、犯罪係数を上昇させる要因となっている脳をシビュラシステムから廃棄することで犯罪係数を下げ、システムとして存続し、社会の安定を保つ
全体を通して
霜月が 2 話全体であまりにも残念、東金がカリスマ性のある悪役かと思っていたけどマザコン風味が強力すぎる、などといったことはありましたが、全体を通して骨太なストーリー構成で、たいへんに楽しめました。
ただ、一期があまりにもスゴくて心を完全に掴まれてしまったので、それと比較して見てしまう点はどうしてもあります。あぁ、槙島さん生きていてくれ、たのむ。