理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

新書

時々新書というものに対して考えるんだけど、新書は大学院とかの講義とわりかし似てるところがあるような気がする。大枠を提供してくれるところ、そしてどちらも、読んだだけ、受けただけで理解できるようにはならないというとこあたり。


大学院とかの講義はもちろん専門分野に(ある程度?)特化した内容だけれども、それでも抑える範囲というのは限りなく広い。膨大。ここ精神と時の部屋かよってくらい。そんでもって、動的に成長していく。プール泳いでると思って水の中で目をつぶってたら、いつの間にか海でしたー溺れますーな感じ。上では大学院の講義と似てるって書いたけど、実際はたぶん世の中の仕事も全部そうなんだろう。


それを新書は200ページなり300ページなりで俯瞰する。講義も、90分を14コマくらいか。どんなに著者の方が頑張っても、教授の方々が努力しても、表面なでる程度だと思う。いや、それでもぼくはヒーヒー言うんですけど。


何を時々思うかって言うと、自分から追っていかないと全然新書読むのも、講義受けるのも、意味がないんだろうと。どちらとも、取っ掛かりに過ぎない。ただ、単なる取っ掛かりじゃなくて、それはとても優れた、専門家から見て「この取っ掛かりを掴んでけば、ある程度の理解ができる」って厳選された取っ掛かりなんだと思う。だから多分、新書を読んだ後、講義を受けた後「分からない」のが当たり前で、それを「分からない本」で片付けるのかどうかってところが、本を楽しめる鍵なんじゃないかとか思った。いろいろ追った後、調べた後、また新書を読み返したら、それはもう楽しい本になってそうな気がする。