̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」 —————————————‐┬┘ ____.____ | | | | | いらないプライドとか | | ∧_∧ | | 窓から投げ捨てろ!! | |( ´∀`)つ ミ | | |/ ⊃ ノ | |  ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ | | \\\
ぼくはたぶん,無駄にプライドが高いんだと思うんです.
人に負けるのって嫌じゃないですか.怖いじゃないですか.
勝つのと負けるのとが選択肢として提示されてるんだったら,勝ちたいじゃないですか.
どこの世界に甲子園一回戦負けを願う高校球児がいるのかとか,そういうかんじ.
たとえ負けた方が得るものが多いって分かってたとしても,勝ちたいじゃないですか.
ぼくはそういうので,これまでどれだけ損をしてきたのかなーとよく思うようになってきました.
成績であれ,なんであれ,人に負けたくないなとすごく思ってきて,それはある意味で確かに原動力にはなったようには思うんですけど,なんというか自尊心ばっかし高くする方向に流れてきた気がするのです.
膨れあがったプライドというやつは,ろくなことをしてくれない.
そのプライドを崩されるのは恐怖ですから,人の失敗とかを願うようになって,向上しあうとかいう概念からはだんだんと離れていく.
人の考えを認めるとか,そういうことも自分の中でタブー視されていく.
特に同年代とか年下とかの言動に対して,こういうのは強くあらわれているような気がします.
負けるのが自分のなかでいつしか許せなくなっていって,だから勝つ努力をするんですけど,それはどこにつながる努力なのかとかは全然考えてない.
勝って得たのはムダなプライドだけ,という感じのことが頻発してるよなーと思うのです.
たぶん,これは前に一度書いた,悪い優等生みたいな話と共通するところがある.
最近ぼくはこういうのをプライド駆動と名付けて遊んでいる.
プライドを振りかざしたいがための価値判断ばっかししている感じです.
もちろん,その副産物としていいこともたくさんあるとは思うんですけど,膨れあがるプライドをなんとかする術をもたないと,後悔するかもわかんないっぽい.
負けず嫌いが有効なのは,たぶんですけど,勝ちからでも負けからでも何を学ぶかをちゃんと分かってることが前提になってる気がしてきた.
単にプライドを求める負けず嫌いの努力とか,検討違いの方向に費されることが多くて,クソ効率が悪い気がしてきた.
自分の長所は負けず嫌いなところです,とかいうヤツは一度じっくり考えてみたほうがいい.
「バカと煙は高いところに登りたがる」って,そういうことのようなきがしてきて,たぶんぼくはそういうバカだったのです.