知識みたいなのはパワーであって,自分から見る世界の価値というのはきっと,自分の持っている知識の量にハンパなく左右されるんじゃないかと,ぼくは常々思っているのです.
ここにぼくが脱ぎ捨てた靴下がありますが,なんか訳わからんけど,縦になんか模様が入っている.この模様ってどう作っているのかな,だったり,この模様には元々どういう意味があるんだろう,ということだったり,ぼくが無造作に脱ぎ捨てた靴下からだって,想像の海は果てしなく広がっていく.トニー・ブザンは,脳は無限の連想マシンだと言っていますけど,その無限の元になるのは,やっぱし知識じゃねーかとか思っているのです.
会社に入るとき
ぼくが SIer で働きたいなーと思ったのは,知識を得たいというのがわりと大きな理由の一つでした.SIer ではコンピュータはもちろんだけど,他業界の知識をいろいろと得ることができる.この業界はこういう風に業務が回っていて,この部分がとにかく重要なんだとか,そんな感じ.自分が生きる社会の見えない部分が見えるようになることで,何かが爆発的に変わるんじゃないかとか,そんな青臭い思いを抱いていたのですね.
で今
この 3 月でようやく長い長い OJT も終わり,ぼくは正式配属を迎えたわけですが,お客さんの業務を理解しなきゃいけなくなって,膨大なドキュメントとにらめっこしてたりする.牛歩のように少しずつ,僅かずつだけど業務を理解していっていますけど,ぼくが見る世界が爆発的に変わったかというと,何も変わってないような気がしています.
他業界の知識を得る環境という夢は叶ったのだけれど,辿りついた場所はまだ期待ほどじゃなかった感じです.まぁ夢なんてそういうもので,きっと叶ったところで,新しい夢みたいなのが先にあるから,現状じゃ満足できなくなる.
夢は叶えるものじゃなくて,持ち続けるものなんじゃないかなーと,ぼくは梅酒を片手に,また青臭い思いを抱えているのです.