今日、後輩にインタビューってか悩み相談みたいなことされて、「今はつらいと思うけど、やっぱり役にたつよ」って答えたんですけど、よくよく考えるとあまりにカスな答えだったなって、ぼくは今、とても反省しているんだ!!!
美談アピール
ぼくは多少つらいこととかあってもガンバるし、それよりかちょっとつらいことがあるとヘコんでもうダメだうごけない誰かかわりにがんばれみたいなかんじになるけど、世間の人とかはぼくよりかもっともっと頑張り屋さんです。ちょっとくらい学校でイジめられても平気っぽい感じで振る舞うし、満員電車でいつも小錦よりかデカいおっさんに寄りかかられてもヘコたれないように足腰を鍛えるし、ぼくはいっつもみんなスゴいなーって思いながら、とか何か続くかんじで書いたんだけど、主に思うだけで特になにもしてません。
ところで、何かつらいことを頑張って頑張り切った人っていうのは、同じようにつらいことをしてる人に「今はつらいけど後で役にたつよ。だからがんばれ!」とか言いだしがちです。しかしですね、こういうセリフというのはたいていの場合まるで根拠がないから、信じなくてよろしい。単なる「おれはつらいけど頑張った」ていうゴールデン美談アピールですから、「スゴいですね!!!!!!! さすがですね!!!!!!!!!!! ぼくもがんばります!!!!!!!!!!!」みたいにテキトーに相槌をうちましょう。
みんな自分のことが好きだ
人ってのは、たぶんですけど今の自分ってやつが好きなんじゃないかと思います。生きるってことはそれなりにエネルギーみたいなのが必要ですから、自分のことを好きじゃないとそういうエネルギーってのは出しにくい。もちろん、二の腕が巨大棍棒みたいな感じの自分なんてキラいだみたいな人もいらっしゃると思いますし、幼稚園児にトロールに間違われたからぼくは自分が許せないみたいな人もいると思いますけど、そういうのは実に些細なことで、全体として見ると自分のことが好きなんじゃないかと思います。それでも自分のことがキラいだという人は、ちょっとダマっとけ。とにかくみんな自分のことが好きなんだ!
経験というのはスゴい
人を作りあげるものってのは、その人がそれまでに体験した経験です。経験というのは、体験したその人にとってまぎれもない真実ですから、なんかよくわかんないですけど、そういう経験ベースで判断とかも下されるし、人格にも生き方にも影響します。別の言い方をすると、経験がその人の進むベクトルを決めていく。つらいこと、苦しいことっていうのも、もちろんそのベクトルに作用します。もしかすると、楽なことよりかずっと、その人の進む方向を決めるウェイトが大きいかもしれないですね。
ここまでのまとめ
で、ここまでの内容を整理すると
- 人は今の自分が好き
- 経験が今の自分の方向性というのを決めている
てことになります。
過去を美化するメカニズム
過去の経験というものが今の自分を作りあげているとすると、今の自分からみたときに過去の経験は「なくてはならない」ものになります。あのときの経験という 1 ピースがもし欠けていたら、今の自分はなかった。自分にはあの経験が必要だった。こうなると、全ての経験を肯定する状態になります。
- 「いじめられたこともあったけど、おかげで本当の優しさがわかったよ」
- 「うちは貧乏だったけど、だからこそ幸せが何かよくわかるよ」
なんかよくわからんけど、いじめられた辛い思い出が素敵なことに思えてくるし、貧乏も良いことっぽくなる。ぼくもいじめられたい!!!! こんなかんじで、過去って美化されるんじゃないかと思います。
これはサギだ!
これがさらに発展すると、いじめられてる人とかに向かって、「おまえ今いじめられてるけど、あとで本当の優しさとかわかるからガンバれ!!!!!!」とか貧乏な人に「おまえ貧乏だけど、今をのりきったら幸せがつかめる!!!!!!!!」とかなる。これはもはや、この壺を買ったら幸せになれます!!!!!!! とかそういうのとあんまし変わらない。
こういうのはよくある
上のは極端な例ですけど、こういうのって身近にもたくさんあるんじゃないですかと思います。単純作業しか割り当てられない新人さんにかける一言とか、微積のテスト勉強しながら、これに何の意味があるんだって怒る新入生にかける一言とか、そういうところで。ぼくは結局、後輩に何の実になるアドバイスもできていないし、結局やったことといえば美談アピールだし、あーもうなんだかなって思いました。