理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

自分語り

愚痴を大量にこぼす飲み会をしたらテンションが上がったので、酔いの勢いに任せて思っていることを書きます。自分語りをします。壮大な愚痴になります。長文になると思いますし青臭いとおもいます。推敲はしません。ただ、ぼかすべきところはぼかします。

あまりに長文なので 3 行で要約すると - 今までマネジメントをサボっていてすみませんでした - がんばりたいと思います - 明日の朝起きてこれ読み返したら猛烈に恥ずかしくなると思うのでエントリ消すかもわからんね となります。

ここ数ヶ月を振り返って

ここ数年、いわゆる PM という役割をメインに据えてきました。顧客折衝、スケジュール管理、課題管理、コスト管理、方式設計や実装のジャッジ、そういったことをやってきました。ただ、それは決してぼくのやりたいことではなかったです。やっぱりエンジニアとして、物を作りたい、開発をしたいという思いが強くありました。 その要望を伝えて、退職の意思すら公式に伝えつつ、色々とご迷惑をおかけして、開発ができる立ち位置になりました。なので、できるだけプロジェクトマネジメントという立ち位置からは離れたいと思っていました。これまでのぼくの言行と矛盾しますし、志向とも相反します。人に迷惑をかけてまで押し通した自分の意思は何だったのか、という話になります。まぁたぶん、自分のやりたいことがやりたい、という、ある種、自分勝手な意思です。

ですから、今の仕事としても、マネジメントと呼ばれる仕事からは逃げていました。このままだと、このプロジェクトはマズいという認識はありましたが、見て見ぬ振りをしました。すみませんでした。関係される方も、このプロジェクトはきな臭いなと思っておられたと思います。理解してます。同じ思いでした。罪悪感は感じています。感じ続けていました。何日も休んだりして、現実逃避をしたりしました。それでも、見て見ぬ振りをしました。すみませんでした。 今週になって、罪悪感に耐えきれなくなりました。このままだと、プロジェクトに関わる人が不幸になるばかりだと思いました。これは個人的な印象かもしれませんが、チームとして同じベクトルを保持していない、統一されたシステムに対する意思/設計がない、あまりにも多いステークホルダとそれぞれの利害関係の入り組み具合、決定権の所在の不明さと、それらに引きずられてブレる仕様、ブレる仕様に引き摺られて右往左往する開発。現実を見ると、そういう風景が広がっています。問題は山積みです。社会は厳しいです。現実はつらいです。そろそろ目の前に広がる風景に耐えられなくなりました。。

立て直せるものなら立て直したいです。つらい現実を変えたいです。なぜつらいのかというと、"やるべきと思っていること"から目を背けていることを、自分自身が分かっているからだと思います。デビッド・アレンの言葉を引用します。

これをやらないといけない、ここを変えなければ、といったさまざまなタスクを、あなたはどれだけ背負いこんでいるだろう。(略)さまざまなプロジェクトについても、自分に求められていることをしなければならないと感じていることだろう。(略)人生や仕事のこうしたあらゆる「やりかけの仕事」を、私たちは"ストレス"として受け止めてしまっているのである

立て直すために "やらないといけないと思うこと"をやらないといけないと思いました。やりたいことと、やらないといけないと思うことは相反していますし、自分に求められることと自分が求めているものにも齟齬があります。それでも、デビッド・アレンの言う"ストレス"の蓄積する状況よりはマシだと思いました。

マネジメントとは

facebook 上で、マネジメントとは?という謎掛けがあったので、ここで回答しておきます。 マネジメントと言えばドラッガーですが、ぼくはドラッガーほど頭も良くないし、ドラッガーの言うマネジメントは、いわゆる Entrepreneur 寄りの定義だと思っています。もちろん、その本質はぼくのような平社員にも適用できるはずだろうがヴォケというツッコミは甘んじて受け入れます。 ドラッガーはマネジメントの役割は以下の 3 つだと言っています。

  1. 自らの組織に特有の使命を果たす
  2. 仕事を通じて働く人たちを生かす
  3. 自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する

ぼく自身は、正直、社会貢献はどうでも良いです。二の次です。アレは副次的な効果だと思っています。組織の特有の使命とやらが適切に定義されているのであれば、それを達成することで満たされるべきものだろと思っています。 ぼくの思うマネジメントの役割は、関係する人を不幸にしないこと、幸せにしてあげることです。マネジメントがやるべきことは、それを実現するための全てです。スケジュール管理すればマネジメントなのか、課題管理すればマネジメントなのか、PMBOK に則ればマネジメントなのか、Responsibility Assignment Matrix を定義すればマネジメントなのか、そういうのはもういいです。いい加減、聞き飽きました。

ぼくには関係する人の全てを幸せにすることはできません。能力不足です。マネジメント失格です。ですが、目に見える範囲の人はできるだけ不幸にしたくありません。

そのためには、きちんと方針を打ち立てる、いつまでに何をすべきかの指針を提示する、みんながクソみたいな課題には煩わされないように障害を取り除く、個々人の志向と適性に合ったタスクを割り当てて楽しんで仕事をできるようにする、そういうことが必要なんだと思います。それをするために、課題管理も、スケジュール管理も、テストの方針付けも、社内調整も、必要なんだと思います。 「マネジメントがやるべきことは、それを実現するための全て」と思っていますが、しかし全てなんてできっこありません。時間は有限、やる気も有限、ぼくの豆腐メンタルの強度も有限です。全部できないことは分かっていますが、それでも自分の納得がいくだけのことはしようと思います。自分のやるべきことというのはそういうことだと思ってます。 とりあえず、「○○さんが動かないから××できない」は NG ワードだ、だったらぼくが動かせ。

以上の決意を実現するに伴い、(別の意味での)メンタルの加速度的悪化、愚痴の急増、(やはり別の意味での)ストレスの蓄積が予測されますが、耐えきれなくなったら辞表を出そうと思います。すみません。偉そうなことを言った後でこんなこと言ってすみません。我が身がかわいいです。職業選択の自由を保障する日本国憲法はすばらしいですね。