理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

大衆の反逆

オルテガめっちゃ怒ってます! カンカンです!! ぼくはもう、唇を紫に染め、部屋の片隅で体育座りしながらブルブルと身を震わせ、ただただ嵐が過ぎ去るのを待つしかない!!!

そしてこれらの甘やかされた大衆は、空気と同じように彼らの意のままに供されているあの物質的・社会的組織も、空気と同じ起源をもつものだと信じてもおかしくないほど、知性が低いのである

大衆人は、自分がその中に生まれ、そして現在使用している文明は、自然と同じように自然発生的なもので原生的なものであると信じており、そしてそのこと自体によって (ipso facto) 原始人になってしまっているのである

ヒッ! 大衆は!!! 原始人!!!!!!

この本の中で、オルテガは"大衆"を徹底的に罵倒しているわけですが、その大衆というのをオルテガは以下のように定義しています。

大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである

さらに言葉を借りれば、自分に大してなんらの特別な要求を持たず、ただただ風のまにまに漂う浮標のような人々を「大衆」と呼んでいるわけですが、そういう指導者たり得ない人たちが社会的権力を持つようになったのが「最大の危機」であると、オルテガはめっちゃ怒っているわけですね。

オルテガさん、完全にカルシウムが足りないんですが、オルテガが怒っているうちの一つは、「生」というものの概念がおかしくなってんじゃないの??っていう点だと思います。
オルテガの考える「生」は、あらゆる瞬間において存在する可能性の一つを決断、選択するということを指しています。世界というのはその可能性の集積であって、そしてそれがぼくたちの「生」の潜在能力であると考えています。ぼくたちが選択できる可能性は、過去と比べて大きく広がっているにも関わらず、というか広がり過ぎているからこそ、大衆は自分の方向性を見出すことができなくなっている。明確な未来を計画せずに生きていて、そういう生き方をしているからこそ、何も作れないではないかと、オルテガは怒っているわけです。

何かを作ろうにも、大衆にはそれらを作る知識がありません。なぜなら、大衆は自分たちの生活を支えている生活が、何によってどう支えられているかを理解していないからです。大衆にとって、その生活はあたかも空気のように与えられるものであって、それらを手に入れるまでの歴史にも技術にも経緯を払わないからです。外への興味を持たないから、自分の今の生活・知識に満足し、自分が知的に完全なものだとみなしてしまって、閉塞状態に陥ってしまう、と。

新しい人間は自動車を欲しがり、自動車を楽しんでいる。しかし彼は、自動車は、エデンの国の樹になる自然の果実だと信じているのだ


ぼく自信は、オルテガの考え方って賛成できなくて、オルテガの考え方に沿った社会は一握りの支配者がいないと成立しません。そしてその支配者は、資質という意味で、大衆とは一線を画しています。大衆と、大衆に示唆を与える支配者は区別されています。
大衆が大半という今において、そういうのってすごく救いがないなと思うんですが、そういう脊髄反射をしてしまうところが大衆なのかもしれません。