なにかリリースしたりするとき、品質評価を組織に対して報告することが必要になったりします。 ぼくの仕事も例外ではなく、やはり品質をどう担保しているのか、その結果がどうだったのかといったことを報告します。
この間ひさしぶりに、本当にひさしぶりに品質評価報告を行って、色々と思うところがありました。
誰のための品質評価か
●年前は、この報告に意味はあるんだろうか、ということを考えていました。 この儀式は「組織として品質に責任を持ちます」という、PJ責任者から組織責任者への責任委譲の儀式ではないかとも考えました。
きっと、そういう側面はあるだろうと思います。
ただ最近は、ちょっと品質評価に伴うマインドは変わってきていまして、品質評価は自分たちのためにするんだなと感じています。
品質を担保するのは誰の責任かというと、品質担当者ではなく、チームの責任です。
トヨタ生産方式の中心的な考え方の1つは、「問題にもっとも近い人間が問題をもっともよく知っている」ということだ。これは、DevOpsバリューストリームのように、行う仕事と仕事を進めるためのシステムが複雑でダイナミックなものになればなるほど、強調されなければならないことである。
「自分たちの品質」を定義し、その目標を設定し、それを継続的にトラックして異常値があれば原因を探る。問題があれば修正する。そういったサイクルを回して、品質を高レベルに保ち続ける。 これは自分たちのためにやるべきなんだな、というのが今回学んだことでした。今更という感じですが。
SRE本にもエラーバジェットを使ってマネジメントする話が出てきます。 品質に関しても目標値を定義し、それに対するマネジメントを回すという意味では同じですよね、たぶん。