葬送のフリーレンのアニメが秋から始まり、妻ともども毎週楽しみにしています。
アニメはこの1月から「一級魔法使い試験編」に突入しています。 僕はもう単行本を読んでいるので今後どうなるかというのは知っているのですが、アニメを見つつ改めて単行本を読み返していると、レルネンとゼーリエ、フリーレンとヒンメルの関係について考えさせられました。
ネタバレになるので、以下「続きを読む」で。
レルネンのゼーリエに対する感情
一級魔法使い試験編のほぼ最後、第60話「旅立ちと別れ」において、レルネンとフリーレンの会話が描かれます。 ここでレルネンは、ゼーリエに対する思いを語っています。
私が老いて死ねばゼーリエ様が生きた証がまた一つ消えることになります。私はあの方を未来で一人孤独にさせたくないのです。
第60話「旅立ちと別れ」(7巻収録)
「葬送のフリーレン」のストーリーを形作るのは、100年程度しか生きられない人間と1,000年以上を生きるエルフとの時間軸の違い、そしてそれを両者から見た時の心情の違いなのだと思っています。
- エルフは長命であるが故に、周りの「人」との死別が当たり前になっていく
- 人は短命であるが故に、残されるエルフの側の行く末が心から離れなくなる
「ヒンメルの死」を境として、フリーレンと登場人物との間で、この「違い」が何度も対比されながら物語は進んでいきます。 そして、このレルネンとゼーリエの関係もその構造の中の1つだったのだと、単行本を読み返して気づきました。
レルネンはゼーリエのことを尊敬しているから、ゼーリエに孤独でいてほしくない。そして誰かがゼーリエのことを記憶しておけるように、レルネンは驚きの行動をとることになります。
いやでもさ、このあたりのセリフが、レルネンにとっては随分重かったんじゃないかな。ゼーリエが発した意図とレルネンの受け取り方はずいぶん違ったはずで、この辺り「不器用」ってことになるんだと思います。
それだけに残念でならん。これだけの境地に立っておきながら老い先はもう短い。
第57話「第三次試験」(6巻収録)
やはり人間の弟子は取るものではないな。
第57話「第三次試験」(6巻収録)
ヒンメルのフリーレンに対する感情
繰り返す別れの中で、エルフは「人」の死を受け入れていくことに慣れ、当たり前になっていく。加えてエルフはごく少数しかいないので、その感覚を共有できる相手もいない。 作品内の「人間」から見ると、これが「孤独」ということなのでしょう。
おとぎ話か。そうだね。それだけの年月が経った。あの人の顔を覚えているのはたぶん私だけだ…。
第13話「解放祭」(2巻収録)
ヒンメルはフリーレンのそういう孤独を理解していて、なんとかしたいと思っていた。
でも一番の理由は、君が未来で一人ぼっちにならないようにするためかな。
おとぎ話じゃない。僕達は確かに実在したんだ。
第13話「解放祭」(2巻収録)
読み返してようやく気づいたのは、レルネンの思いと、こういうヒンメルの思いが相似形だったのだということです。そりゃまあ考察しながら読む人はすぐ気づくんでしょうが、僕はそういう読み方をあまりしないので、気づくのに時間がかかってしまった。
まとめ
長命であるが故のエルフの「孤独」を、周囲の「人間」が救いたいと思っているという構造は、今後も作品の中で繰り返されていくのだろうなと思います。 「葬送のフリーレン」の中に出てきたエルフは三人のはずで、フリーレン、ゼーリエ、クラフトです。クラフトのことはまだ語られていないので、ローア街道近くの峡谷にあった石像の僧侶あたりの話で語られるのでしょうか。