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理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

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「悩み事を相談できる人」は「(いくつでも)悩み事を相談できる人」を意味しないっぽいよ

t.E.T.uがこんなことを言っていた。

難解な問題に直面した時には,
Whyを繰り返して原因究明いただければと思います.

http://blog.livedoor.jp/e9910/archives/51105257.html

なんだかとてもわくわくしてきたので、Whyを繰り返しまくってみたいとおもいます。

ソフトボールにいくのがたのしい

ぼくは天邪鬼な感じで「ソフトボールいきたくないなー」とか言ってたりするけども、じつは最近すごい行っていて、出席しまくっている。なぜかというと楽しいからです。それは、団体スポーツでよくある感じの「みんなで共通の目標にむかってがんばる」というのもあるわけですが、もうひとつは、みんなが楽しんでいるからだとおもいます。とてもあたりまえな感じですね。

なんで楽しいのか

じゃぁなんで楽しいのかって言うと、みんなが楽しいことを言ったりしたりするけれども、逆のことは言ったりしたりしないからです。誰かが突然おこりだしたり、なきだしたりしない。みんな笑ってたりしている。するとみんな楽しくなる。楽しいから笑うのかもしれないけども、たぶん、みんな笑うともっと楽しくなる。

なんで逆のことを言ったりしたりしないのか

じゃぁなんで逆のことを言ったりしないのかを考えてみると、これもとてもシンプルで、逆のことを言ったりすると楽しくなくなるからですね。とてもトートロジーな感じですが、たとえばみんな楽しくお酒飲んだりしてるときにビール缶投げまくって怒りあばれだしたり、深刻な悩み事を切り出したりすると楽しくなくなる。みんなそれを分かっているから、あばれないし、悩み事とかいわない。


ぼくたちはたぶん楽しく生きたいなーとか考えてるので、これは普通の生活にも当てはまるんじゃないかなーとか思ったりしています。どういうことかというと、笑ったり、笑ったりできるようなことをするよか、おこったり悩み事相談したりすることはしにくいってことですね。なぜかというと、みんなが楽しくなくなるからです。自分は悩み事を吐き出せてうれしいですが、みんな楽しくなくなる。その事実が無言の圧力みたくなる。

じゃぁなんで悩み事相談するやつがいるんだろう

みんな楽しくなくなるのに悩み事相談が絶えないのはなんでなのかなーとか思ったのですが、それはたぶん、悩み事相談する人は、「相談される人がちょっとくらい楽しくなくなっても許してくれるはず」って考えてるからなんじゃないかなと思いました。こういうのをたぶん、信頼関係とか言う。相談する人は、「話すと楽になる」とか「相談される人が解決してくれるかもしんない」とか思って、ちょっと楽しく生きれるようになる希望がわいてきて、とてもうれしい感じです。

一方、なんでされる側は楽しくなくなるんだろう

じゃぁ相談される人はどうなんだろうとか思うと、もちろんあんまりうれしくない。いや「相談してもらえるくらい信頼関係がつくれたんだーうれしいなー」とかは思うかもしんないけど。基本的に悩み事というのは負の感情です。悲しみとか、妬みとか、怒りとか、不満でつくられている。そういう感情をぶつけられて、楽しくなるひとはたぶん、あんまいないよなー。あと相談する人も、悩み事相談したら相手がちょう喜ぶというのは、あんまり気分よくない気もする。

悩み事相談するコストは0じゃない

ていうことは、悩みごとを相談するってことは基本、いやがられることなんだろうなぁと。もちろん相談する側は「それに耐えてもらえるくらい信頼関係きずけてる」と思うから相談するし、される側も「信頼関係壊したくないから相談のるよ、全力で」みたいなのがあるかなとも感じるけども、される側は楽しい生活からちょっと遠くなってしまいます。1回とか30回とかなら許せるかもしんないけど、100回とかなるともういい加減「楽しい生活をかえして!」みたいになりそうです。ぼくは楽しく生きたいのに、相談されると楽しくなくなるから、もうこの信頼関係いらないや、みたいな感じです。

もちろん結論ありき

もちろんこれは結論ありきだったので、ソフトボールから4回ほど関係のないWhyを繰り返して結論にいたってしまった。相談できる人がいるのはステキなことですが、なんでも見境なく相談してしまうと、相談できなくなるよ、ていう。でもなんか、前に会った友達が、「彼{氏,女}から悩み事ばっかり聞かされて、愛想がつきたよ」みたいな話をしてたので、あーそういうこともあるよなーと思ったとか言うはなしです。たぶんちがうけど、じつはノロケという説もある。