質量とは何なのか。そこに存在しているのだからそれでいいじゃんという話はもちろんありますが、"なぜ"に答えたいという人間の好奇心という欲望は、底を知りません。
CERN の発表でヒッグス粒子がにわかに注目をあつめましたが、ではもしヒッグス粒子が発見されてなにがわかるのか、さらには、そのヒッグス粒子が関わる部分は物質の質量の 2 % であり、他の 98 %はどこからきているのか。そういう疑問に答えようとしている本です。
質量とは何なのか、それに答えるためには、素粒子物理の一般的な知識が必要となり、この基礎を押さえるためにどうしても前半の数章が必要になります(新書という形態を取った以上、それを説明するのも一つの目的なのですが)。この本は約 300 ページで構成されていますが、前半の 5 章、150 ページ分はそういう基礎の説明に割かれ、本題である "どうやって質量は生まれたの" に入るのは第 6 章からになります。
ちなみに、本書の構成は以下のとおり。
- すべては理解できるものか -- 元をたどってみる
- 質量とは何か -- 押しても引いても動かない
- ゼロと有限の境目 -- 光のように速く飛んでみる
- 自転する素粒子
- 右と左が違うのは -- 見えざる弱い力
- 沈むときは二人で -- 真空に沈殿する素粒子
- 陽子に針を突きさす -- クォークの登場
- 真空の雑踏 -- 何でもありの量子論
- あるんだったら出してみろ -- ヒッグス粒子と巨大▼加速器
98 % の質量の正体
ボース粒子とフェルミ粒子
まず基礎となるのは、素粒子はボース粒子とフェルミ粒子という 2 種類に大別できることです。
ぼくたちに馴染みが深いのはフェルミ粒子で、こちらは物質の構成要素になります。電子なんかはこちらに分類されますね。原子模型なんかで、電子は同一の電子軌道上には n 個しか入らない、みたいな話を大学物理とか大学化学あたりで学んだ方も多いと思いますが、これはフェルミ粒子の従う "パウリの排他律" によるものです。これは、同じ種類の 2 つのフェルミ粒子が、同一状態を保持することはできないってヤツですね。だから、電子は電子軌道のエネルギーの低い状態から 1 つ、また 1 つと電子軌道を埋めていくことになります。
一方で、ボース粒子は、まったく逆の性質を持ちます。つまり、複数のボース粒子は同一状態を保持することができるのです。
もちろん温度が高ければ、その熱運動によって異なる状態を取りがちですが、温度を下げていくと、個々の粒子は低エネルギーの状態に落ち着いていき、最終的にはすべてのボース粒子がエネルギー最低の状態に、つまりは、同じ量子状態を持つようになります。この状態をボース-アインシュタイン凝縮と言います。
フェルミ粒子のボース-アインシュタイン凝縮
しかし、これだけでは話が終わりません。フェルミ粒子 1 つ 1 つはパウリの排他律に従いますが、2 つをペアにした複合粒子を考えると、1 つのボース粒子と考えることができるようになります。つまり、この複合粒子であれば、ボース-アインシュタイン凝縮が起こります。
南部陽一郎の考え
このフェルミ粒子ペアのボース-アインシュタイン凝縮を、陽子-反陽子、中性子-半中性子のペアで考えたのが南部陽一郎でした。
エネルギー最低の状態に、これらのペアが沈殿(ボース-アインシュタイン凝縮)している状態を考えましょう*1。エネルギー最低の状態ですから、このペアは全体として運動量を持たないようにそれぞれが逆向きに走り、角運動量も持たないように同じ方向のスピンを持ちます*2。
では、ここに例えば上方向のスピンを持つ陽子を飛ばしたとしましょう。この上方向の陽子は、多く沈殿しているなかの、下方向のスピンを持つ陽子-反陽子ペアとぶつかります。結果、この飛ばした陽子と反陽子が対消滅し、下方向のスピンを持つ陽子が残ります。次はこの陽子が、上方向のスピンを持つ陽子-反陽子ペアとぶつかり、再び上方向のスピンを持つ陽子が残り…という連鎖的な反応が残ります。
ここで注目すべきは、このときの陽子の平均速度は、沈殿しているペアとぶつかってしまっているせいで、光速より遅くなってしまっているのです。
光速より遅いという意味
アインシュタインの相対性理論が教えるところによれば、速度で走る物体のエネルギーはです。これはつまり、速度が光速に近づくとエネルギーはどんどん大きくなることを意味しています。ここにでてくるは質量なわけですが、質量がある限り、粒子にどんなに大きなエネルギーを持たせても、光速に達することはありません。だって無限大のエネルギーが必要ですから。
ざっくり言ってしまえば、ある物質に質量があるかという問いは、その物質が光速で飛べるかという問いと等価です。つまり、上記のとおり陽子とか中性子というのは、光速で飛べない、つまり質量を持つという話になるのです。
もう一つ、上でスピンの話がでてきましたが、光速より遅い粒子が上方向(つまり右回り)のスピンを持つようにぼくたちからは見えるとしましょう。しかし、これを光速で走る粒子から見ると、下方向(つまり左回り)のスピンを持っているように見えます。スピンの見え方というのは *粒子が光速でない限り* 異なるわけですね。結局これは、カイラル対称性を破っていることになります。
さらなる素粒子像
で、当時は陽子とか中性子が素粒子という感じだったのですが、実際にはそれらの粒子にはさらなる内部構造があり、クォークによって構成されている 3 つ組だったことが分かってきました。したがって、質量発生のメカニズムは、中性子や陽子ではなく、クォークでも成り立つかを考える必要があります。
クォークの間に働く力は量子色力学で表されるのですが、これは解析的に解くことができておらず、計算機シミュレーションに頼っています。そして解かれたデータから分かってきたことは、真空中には、クォーク・反クォークの対生成・対消滅を起こすことができる状態がいくつもあって、凝縮が起こっている(と考えてよい)ことです。つまりは、上述の質量発生のメカニズムは、やはり正しかったという話です。
残りの 2%
上記のメカニズムで説明がつくのは、じつは質量の 98 % ということです。残りの 2 %、それはクォークとか電子そのものが持っている質量です。クォークはなぜ質量を持っているのか。
結論からいうと、よくわかりませんでした。
ヒッグス場によって、質量が生成されるメカニズムにたいする説明がぼんやりとした理解にしかなっていないので、それがクォークと結びつくはなしもよくわからない。