理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

人間関係が疎結合になってきている

最近,というよりはむしろもっと前からか,人間関係が密なものから疎なものへと移行しているのを強く感じている.
別にそれを望んでいるわけでもないのだけれど,密な関係はぼくの中では息苦しくて,どうしても疎な関係へと流れてしまう.

ここで言っている疎結合,密結合の定義については,自分の中でもまだうまく理解できていないのだけど,ただ,たぶん,友人が悲しい状況になっているときに一緒に涙が流せたり,親にも話せないような悩みを共有したり,そういう関係を自分では密結合と思っているような気もする.

心の中では,密結合な人間関係に対する憧れはあるんだ.ただその憧れは刷り込みなんじゃないかとも思う.心理学で言う超自我(ref:http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/line4.html) みたいなものが作用して,密結合な人間関係を求めるようになっているんじゃないかとか,そんな気がしている.「仲間は悲しみを半分に,喜びを 2 倍にする」なんて言葉がドラクエ IV の攻略本に書いてあったような気がするけど,密な人間関係って本当に喜びを 2 倍にするんだろうか."苦しいときの神頼み" なんて言葉が自然に使われる世の中における人付き合いで,自分が人に与えられる喜びと人に与えてしまう苦しみや面倒を比べてみると,後者が勝ってしまわないか.だとしたら,密結合した人間関係なんてトータルで見ると負の影響を人に及ぼしてしまうんじゃないか.そんな気もしている.

何回か書いたのだけど,ぼくの研究分野は自己組織化とロバスト性だったりした.自己組織化は各固体が疎結合しながら全体としての行動を生み出していく.そういう自己組織化はロバスト性を高めるというのが通説なのだけど,ではそのロバスト性を高めている原因は何なのかという疑問に対してぼくたちが論文の結論にしたのが「依存性」だったりした.個々が依存しあうと,それが弱さになる.依存し合った関係において,一方が崩れると他方まで崩れる.信じた情報に誤りがあると,その誤りの影響は大きく波及していく.だったら,そもそも依存なんてしなければ良い.そこまで深い事柄なんて知らなければ良い.深い付き合いなんてしなければ良い.知るのなんてインタフェースだけで良いんじゃないか,自分が周囲に公開することを選んだ表層の部分だけで良いんじゃないか.インタフェースを漠然と知っている状態ですら,システムというのは動き得るんだから.

最近の思考回路はそんな感じ.付かず離れず,そんな関係があまりに心地良すぎる.取り留めのないことをグチったりして談笑しながら,お互いに自分の本当の悩みとやらは口に出さない.そういう関係が今一番心地良い.
希薄な人間関係と言われるとそうですねというしかないのだけれど,じゃぁ濃厚な人間関係に希薄な人間関係を大きく上回るようなメリットがあるものなのかな.