理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

ブラックホール戦争

レオナルド・サスキンドといえば、紐理論の父と呼ばれる理論物理学者ですが、
そのレオナルド・サスキンドが、"車椅子の物理学者" スティーブン・ホーキングの説いた「ブラックホールに吸い込まれた情報は永遠に失われる」という理論を約 30 年かけて如何にして覆したかという壮大な内容です。

ISBN:978-4-8222-8365-0:detail

「ブラックホールに吸い込まれた情報は永遠に失われる」という説明を理解するには、ホーキング輻射を理解しなければなりません。そしてホーキング輻射を理解するには、事象の地平線(Event Horizon) とは何かを理解する必要があります。
ぼくは物理学専攻でもなく、式を理解できているわけでもないので、以下の説明が微妙(or 誤解)なところがある点には注意してください。

事象の地平線

ご存知の通り、ブラックホールは非常に重い星が極限まで圧縮された物体で、極めて強い重力を持ちます。
ブラックホールの中心に近いほどその重力による引力は強くなり、外側からブラックホールに近づいていくと、いつしか光でさえ抜け出せなくなるような領域に至ります。この領域を分ける表面が「事象の地平線」と呼ばれ、その地平線のブラックホール中心からの距離をシュワルツシルト半径と呼びます。

光速を越えるスピード違反を禁じた特殊相対性理論より、事象の地平線を越えてしまうと、もはやブラックホールから逃れる手段はありません。外界の観察者は、ただただ光や人がブラックホールに吸い込まれるのを見ておくことしかできなくなります*1

ホーキング輻射(ブラックホールの蒸発)

例え真空であろうと、光子は対生成と対消滅を繰り返しています。つまり、何もいないところから光子のペアが生じ、それが消滅しています。無から有が生み出され、また無に戻るといった感じで理解すれば良いと重います。高校化学で出てくる化学平衡と同じように平衡状態を保っているんでしょうね。
この対生成が、事象の地平線の境界で起こり、一方の光子は地平線の内側、他方の光子は地平線の外側に飛び出したとしましょう。内側の光子は抗う方法なくブラックホールに落ちていきますが、他方の光子はブラックホールから脱出できる可能性があります。結果、ブラックホールからは光子が放射されることになります。この現象が「ホーキング輻射」です。
これにより、ブラックホールのエネルギーは時間とともに小さくなり、アインシュタインの等価原理 E=mc^2 (E: エネルギー、m: 質量、c: 光速)により、ブラックホールの質量は次第に小さくなります。
ブラックホールのシュワルツシルト半径は、Gをニュートン定数、Mをブラックホールの質量、cを光速とすると、R_s=\frac{2MG}{c^2}と表され、質量(=エネルギー)に比例するため、ブラックホールは質量の減少により、最終的には消えて失くなります。

ホーキング輻射を熱力学的に見ると、まるでブラックホールが熱を持っているために光子を放射しているのと同じと理解でき、実際にその温度を数式化することが可能です。
T=\frac{1}{16\pi^2}\times\frac{c^3h}{GMk}
Tはブラックホールの温度、分母のMはブラックホールの質量で、質量が小さくなるほどブラックホールの温度が上がります。つまり、ブラックホールはどんどん高温になりながら、どんどん小さくなり、最終的に消滅します*2。このため、これはブラックホールの蒸発と呼ばれたりします。Steins;Gate にもこの表現が盛んに出てきてましたね。

さて

量子力学においては、系に鑑賞しない限りにおいて、系が伝える情報が失われることはありません*3。しかし、これを覆す学説を放ったのがスティーブン・ホーキングでした。奇しくも時は 1983 年、ぼくが生まれた年です。
曰く「ブラックホールに落ちていくビットは、一度地平線を越えたら、外の世界に取り戻すことはできない」。上述の通り、ブラックホールは最終的に蒸発すると、この情報はどうなってしまうのか。完全に消失してしまうなら、量子物理学を根本から覆す危機になります。

これに対してサスキンドがぶつけた主張は、「落ちていった情報はホーキング輻射で外に出てくる」でした。これを、サスキンド(と、この論を支持する研究者たち)は、

ブラックホールの地平線の表面には、プランク長ほどの非常に熱い層(拡張された地平線)が存在し、情報も含めて地平線に落ちたものの全てを吸収する。これがホーキング輻射によって外に出てくる

と説明していきます。

ブラックホールの相補性

情報が失われると考える学者たちの主張は

  • 地平線には、物体がブラックホールの内部へ進むのを妨げる障害物はひとつもない
  • 光子であっても、どんな種類の信号であっても、何も地平線の向こうから戻ってくることはできない

ということでした。つまり、情報は「拡張された地平線」に留まっていられないはず、ということです。
サスキンドはこれに対し、「ブラックホールの相補性」という論理を持ち出します。

サスキンドの反論

ここで、以下の 2 つは互いに矛盾しているでしょうか。

  1. ブラックホールの外側に留まっているあらゆる観察者には、拡張された地平線がブラックホールに落ちるあらゆる情報のビットを吸収し、最終的にホーキング輻射という形で放出するように観察される
  2. ブラックホールに落ちてゆく観察者(ビット自身と考えても良い)には、地平線は全く空っぽの空間であり、妨げられることなくブラックホールに落下していく

直感的には矛盾しているように見える両者を、サスキンドは矛盾は生じないと論じます。これがブラックホールの相補性です。
ブラックホールの地平線の外側にいる実験者には、1 が真実になります。ブラックホールに落ちていく(地平線の内側の)実験者には 2. が真実になります。しかし、地平線の定義から、両者はその実験を突き合わせることが絶対にできません。つまり、矛盾を確認しようがありません*4

ホログラフィック原理

情報というのはエントロピーで表されます。
拡張された地平線上に情報が付着するのであれば、地平線上のエントロピーでブラックホール全体のエントロピーが表現できなければなりません。この、意味不明とも言える原理を、研究者たちは成し遂げました。
最初にヒントを与えたのは、ベケンスタインでした。ブラックホールに情報を 1 bit 落とすことと、地平線の表面積の間に比例関係があることを見出します。
地平線の表面積は4\pi R_s^2でした。1 bit の光子のエネルギーは、その波長を R_s とする*5と、そのエネルギーはE=\frac{hc}{R_s}になります。
アインシュタインの等価原理から、このエネルギーによるブラックホールの質量増加は\Delta M=\frac{h}{R_s}{c}であるため、表面積の増加分は\Delta R_s=\frac{2hG}{R_s}{c^3}になります。じつはこの値、1 平方プランク単位になる!
つまり、どんなブラックホールであっても、1 bit の情報を加えると、その地平線の表面積が 1 プランク面積になるということです。

この理論は、ホログラフィック原理としてまとめらました。曰く、空間の領域に入る情報のビットの最大値は、境界の面積に詰め込むことができるプランクスケールのピクセル数と等しい。つまり、空間の領域で起こる一切の事象は、境界面での既述の投影(ホログラム)である、という原理です。

この考え方を発展させると,ホログラフィック原理にたどり着く。例えば3次元の物理過程を,その2次元境界面について定義された別の物理法則によって完全に記述できるとする考え方だ。近年の理論研究によって,宇宙をホログラフィックととらえる考え方は定着したように思える。これに伴い,物理現象を記述するには場の理論が最上であるという過去50年にわたる基本的な信念を放棄せざるを得ない,と考えられるようになってきた。

ホログラフィック宇宙 - 日経サイエンス

ブラックホール戦争の終結

2004 年、ホーキングは記者会見の籍で、情報はブラックホールから漏れでて最終的に蒸発物の中かに現れると表明し、ブラックホール戦争は終結しました。ホーキングの 60 歳の誕生日会で、サスキンドは「ホーキングのせいでフラストレーションが溜まり髪をかきむしったせいでハゲた」と述べています。
いいですかみなさん、上のようなブラックホールの議論は日常生活上でなんの役にもたたない。フラストレーションを溜めるとハゲる。ここだけ覚えておきましょう。

*1:厳密に言えば、観察者は、人がブラックホールに吸い込まれ、地平線を越える瞬間を見ることはできないはずです。観察者から見ると、人が吸い込まれる速度がだんだんとゆっくりになり、最終的には停止して見えます

*2:超圧縮した何かが最終的に残るという学説も有る

*3:ちなみに、古典物理学では失われ得ます

*4:ぼくたちは外側にいる観察者に当たりますが、ハイゼルベルクの不確定性原理から、拡張された地平線上に留まるビット粒子を観察できません

*5:光子の波長をシュワルツシルト半径と同じ R_s とすると、当該の光子がブラックホールに落ちるか落ちないかという 1 bit の情報を持つことになります