こんな記事が目に止まりました。
Vocaloid といえば、ヤマハの開発したソフトウェアの名称であり、ニコニコ動画で押しも押されもせぬ確固とした一ジャンルを築きあげたコンテンツです。しかしぼく自身は、Vocaloid に何とも言えぬ拒否反応がありました。
いわゆる"アニメ声"よりもさらに甘めの声色。文節間の言葉の繋ぎの不自然さ。似てるけど"やっぱり人間の声ではないよな" という感覚は、ぼくからすれば奇妙なものに思えてなりませんでした。そして、その Vocaloid に歌ってもらう曲を書く、通称「ボカロ P」と呼ばれる人たちも、その曲すらも、ぼくにとっては遠い存在でしかありませんでした。
しかし、今日のエントリの主題は謝罪です。ごめんなさい。申し訳ない。本当にわるかった。ボーカロイド文化スゴいわ。こんなに素敵な文化なら、もっと早くに染まっておくべきだった。
ボーカロイドに対するぼくの印象を一変させたのは、とく P さんが作曲した、詠唱を意味する「ARiA」*1を聞いたのがきっかけです。ぼく自身は音楽に造詣が深いわけではないのですが、それでも、静かな A メロからテンポの上がる B メロ、そして疾走感の尽きないサビとその旋律に乗るボーカロイドの音声に、いつのまにか、抱いていたはずの違和感など消し飛んでいました。
「とく P」さんの楽曲つながりで、「SPiCa」という曲もあります。歌詞を聞くまでもなく、おとめ座のα星がタイトルであることはすぐに分かるのですが、歌詞に謳われる星々と、特にスピカとともに春の大三角を形成するデネボラがでてくるあたりね、もう本当にやられました。いままでナメててすみませんでした。
とく P さんは元々がプロだそうですが、とく P さんに限らず、ニコニコ動画にアップロードされている曲が、いまぼくの iPhone ではエンドレスで流れるようになっています。
ソフトウェアによって合成される音声はそれぞれ同じようなものですが*2、その音声を載せる旋律、曲調で、いろいろな世界が紡がれ、いろいろな人を魅了できるんだなと、そんな当たり前なことを当たり前に気付かされるとともに、偽物語中でのこんな台詞を思いだしたのでした。
人間、知らないものは全て同じに見えるものだ。正しい評価を下すためには、知識と強要が必要なのだ。
別途、Vocaloid というソフトウェアが作品発表の敷居をどれだけ下げたかという話もあるのですが、それはまた別の機会に。