「これやりましょう」と言われて「よさそうです」と返したり、あるいはその逆の立場、みなさんもありませんかね。反対するほどの理由はないし良さそうかもしれない。ふむ。そして、いつの間にか、あれ、やらなきゃいけなくなっているというパターン。
どこかで「コミュニケーションの目的は、共有するか判断するかの2つしかない」という話を聞いた気がします。出典は思い出せないんですが、感覚としてはかなりしっくりくる。 厄介なのは判断のほうなんです。何かを決めて前に進みたいときに「これがいいでしょ」と一案だけをぶつけると、案が通っても、まわりの納得感はついてこない。
じゃあどうするか。選択肢を推奨と一緒に出す、そしてその数は2〜3案までに絞る、です。5案とかは出さない。
「これでいいよね?」で決まったことには責任感が芽吹かない
一案だけを「これがいいでしょ」と突きつける進め方を、ここでは特攻提案と呼ぶことにします。特攻提案が通ると、聞かされた側にとっての仕事は「人の意見を実行すること」になります。 自分で選んでいないから、当事者意識が湧かない。当事者意識のない仕事は、やりがいにも意欲にもつながらない。そうやって、チームの中でじわじわと外部委託化が進んでいく。同じチームにいるのに、発注者と受注者みたいな関係になっていくわけです。
倉貫さんは上司を「共犯」にするという言い方でこれを説明しています。
自分で決めてから承認をもらいに行くのではなく、決める前に相談に行く。一緒に悩んでもらう。上司は、承認した人ではなく、一緒に決めた人になる。
これは、上司を「共犯」にするということだ。責任を押しつけるという意味ではない。決めたあとに持ち込めば、ただの報告になる。決める前に持ち込むから、共犯になる。
上司と部下の話として書かれていますが、チームの合意形成でもまったく同じことが起きると思います。決まる前に巻き込まれた人は、決まったあとも自分ごととして動ける。
ただ、ここで「じゃあ選択肢を並べればいいのね」となると、今度は別の落とし穴にはまります。「A案とB案があるんですけど、どうしましょう?」は、相談の顔をした丸投げです。
「A案とB案があるんですけど、部長、どうしましょう?」は一見、相談しているようでいて、実は決める責任を相手に押し付けているに過ぎません。
並べただけの選択肢は比較して決める作業をまるごと相手に押しつけます。だから選択肢には推奨を添える。「コスト重視のA案と品質重視のB案があって、今の予算感ならA案がいいと思う。どうすか」まで言う。
じゃあ、推奨つきの選択肢と特攻提案は何が違うんでしょうか。ひとつは推奨以外の案がちゃんと選べる案として並んでいること。もうひとつは推奨があくまで初期値で、聞いた人が変更できることだと思います。
hsmtさんがタクシーの運転手の「どの道で行きますか?」という問いを題材に、まさにこの構造を書いていました。
良いサービスは、すべてを顧客に選ばせることではないと思う。プロが適切なデフォルトを決める。そして、必要な人だけが変更できるようにする。タクシーなら、「通常はこちらから向かいます。希望があればおっしゃってください」でいい。
推奨つきの選択肢も同じ形をしています。推奨があるから選ぶ側の負担は軽いし、上書きできるから、選んだという事実と納得感が残る。
360度の議論をしても発散するか黙るしかなくなる
とはいえ、みんなで決めようとすると、今度は議論が収まらなくなります。
発散と収束、という言い方はよく聞きます。でも360度どこに向かってもいい議論をすると、たいてい収束しません。それぞれが自分の「正義」を持ち寄るので、正義同士がぶつかり始める。
あるいは逆に、誰も何も言わなくなる。「何か意見ありますか?」と聞いて、沈黙が返ってくるやつです。
上記のエントリでは、この沈黙の原因を参加者の消極性ではなく、問いの範囲が広すぎることに見ている気がします。何について答えればいいのかが定まらないから、話し出せない。観点や具体例を添えて範囲を狭めると、意見が出てくるようになる。自由度が高すぎる問いは、正義の衝突で発散するか、誰も口を開けずに黙るかになる。
正義がぶつかった議論を収めるには、優先度を決めるしかありません。でも優先度を決めるって、実質的に誰かの意見の切り落としになります。だいたいみんなやりたくない。 それでも敢行するなら、覚悟を持ったリーダーが、チームの一体感をリスクにさらして断行することになります。これを雑にやると、チームは瓦解するか学習性無力感に沈みます。「どうせ最後はあの人が決めるし」となったチームは、意思を持たなくなる。
だから、最初から議論の自由度を下げておきます。 まず「だいたいこっちの方向に行きたいんだけど、どう?」と、yes/noで方向性を握る。方向が決まったら、「そこに行く方法はいくつかありそうなんだけど」と意見を募る。集まった意見を選択肢にまとめて、最後はクローズドクエスチョンにする。
選択肢は2〜3案まで
では、選択肢は何個にすればいいのか。
ぼくは最近、2〜3案に絞るようにしています。5案とかは出しません。4案にするのも、2択が2つ直列につながって2×2になるときくらいです。たとえば「内製か外注か」と「今期か来期か」を掛け合わせるような場合ですね。
人類の頭には4つくらいしか入らない
人間が一度に頭に置いておける情報の量については、「7±2」という数字が有名です。でも、2001年の論文では、この数字を見直しています。
この論文によると、頭の中に入る純粋な容量は、平均で約4チャンクになります。ここでのチャンクというのは、互いに強く結びついた概念のまとまりのことです。電話番号を3桁と4桁に区切ると覚えやすいという、区切りの単位みたいなかんじ。
会議で初めて見せられた選択肢は、まさに「その場で頭に置いて、比べて結びつける」対象です。だから、選択肢が4つを超えると、そもそも全部を同時に比べられなくなる。比べられない選択肢から選んだ結果は、だいたいあてにならない。
4は平均なので置いていかれる人もいる
じゃあ4案まではOKかというと、ぼくはそうは思っていません。
Cowanの整理では、成人の集団平均は3〜5チャンクですが、個人ごとの平均は2〜6チャンクと、もっと広く散らばっています。
The experimental means for groups of adults generally range from about 3 to 5 chunks, whereas individual subject means range more widely from 2 to 6 chunks.
成人の集団の平均はおおむね3〜5チャンクに収まるが、個人ごとの平均は2〜6チャンクと、より広く散らばる。
The magical number 4 in short-term memory: A reconsideration of mental storage capacity
議論の場で問題になるのは、ぼく一人の容量ではありません。参加者全員が同時に頭に置ける数です。4は平均であって、そこにいる全員の値ではない。
それに、選択肢は少ないほうが、1案あたりを深掘りできます。1つの選択肢にはメリットもデメリットも前提条件もぶら下がっている。5案を浅く眺めるより、2〜3案を突っ込んで比べるほうが、決めたあとに「そういうことだったのか」とならずに済みます。
だから2〜3案。4案にするのは、2択×2択のように、2回の判断に分けて考えられるときだけです。
落とした案も薄めて残す
ただ、2〜3案に絞るという作業自体、誰かの意見の切り落としなんですよね。議論の場での切り落としを避けたはずが、痛みを選択肢を作る人に移しただけ、とも言えます。
ぼくがよく使うのは、落とした案を選択肢の中に薄めて入れる、という方法です。採用されなかった案の要素を、残った選択肢のオプションにしたり、将来の検討事項として書き添えたりする。どれだけ薄めるかで、意見を出した人にとっての「消えた感」は変わります。全部は残らなくても、100%の切り落としにはならない。どこまで薄めて、どこまで残すか。この濃度の調整が選択肢を作る人の腕の見せどころなんだと思います。
まとめ
人間が一度に比べられるのは、せいぜい4つくらい。しかも、それは平均の話で、もっと少ない人もいる。だから選択肢は2〜3案に絞る。
そして、その2〜3案は推奨と一緒に出す。推奨だけなら特攻提案、選択肢だけなら丸投げになる。 推奨があって、上書きもできる。そういう形で出された選択肢から選ぶと、みんなで選んだという事実が残ります。それが、決まったあとにチームが自分ごととして動けるかどうかを分けるんだと思います。