理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

他者から与えられたミッションに身を投じても良いんじゃないかという仮説

「自分が会社で何をしたいのかわからない、なぜなら人生で何をしたいのか答えが出ていないからだ」というような悩みを聞くことが多くなってきて、うん分かるーという感じがします。

この種の問いに対して、なかなか上手く切り返せずにきました。 それはぼく自身、キャリアプランを出せと言われて、うーん自分のなりたい姿ねぇ…と頭を悩ませるタイプだからなのでしょう。 どう考えれば良いのだろうと色々頭を悩ませてまして、いまの考えを残しておきます。

人生における「在りたい姿」という難問

「人生を賭して自分はこれをやりたい」という滾るような熱い情熱を持っている人が、果たしてどれだけいるのでしょうか。 対象が何であれ、360度に広がる自由度の中から1つのことを選択するのはシンドい。 時間を溶かせるコンテンツが無限にある中で、シンドい思いに負けず、「自分のなりたい姿」を真剣に考えられる人がどれだけいるのでしょうか。

会社での「在りたい姿」の考え方

仕事というスコープで自分のなりたい姿を描こうとするときには2つのアプローチがあるのだろうと考えるに至りました。

  1. 人生において「こう在りたい」という理想をベースに、会社組織の中における「自分の在りたい姿」を導き出す
  2. 会社組織のミッションから、会社組織の中での「自分のありたい姿」を導き出す

人生像から導く方法

360度の自由度の中から「こうありたい」という人生像を選択していることが前提になる点で、前者はやっぱり難しそうです。

それができているんだったら、会社組織の中での「自分の在り方」というのは「人生においてどうありたいか」という問いのサブセットの問題でしかない。人生の在り方の定義ができているのであれば、それに基づいて会社を選択できているはずだし、できるはずです。 「これをやりたい」という強い想いがあって会社に入る方はこういう考え方になるのでしょう。 一方で、人生の在り方を定義できていない人にとってはこれは苦行でしかない。

与えられたミッションに身を投じるのもひとつの方法ではないか

ぼくのような人生の明確なゴール像を持たない人はどうすれば良いのか。 最近は、「会社の中での自分の在り方」を会社組織のミッションに委ねても良いのではないかと考えるようになりました。 「(会社|組織)がこういう方向に進むのであれば、自分はここを担いたい」という思考パターンで良いのではないかと。

この考え方の何が良いかというと、考える自由度を狭められることです。ある程度のことは会社/組織が決めてくれていて、「その中で何を担うか」という選択問題にできる。また、自分の人生という大問題も先送りにできる。

もちろん、会社組織のミッションというのはある種抽象的に定義されることが多いはずです。 特定事業にコミットする企業はミッションが明確である一方、ビジネスを多様化させる大企業ほど、ミッションが照らす未来への視野は鈍角になります。例えば360度の自由度が80度までしか狭まらないとか。金融分野とか、ITとか、そういうところまでしか自由度が狭まらない。そうすると、抽象的すぎて自分がどう在るべきか結局よくわかんないよということになる。

そういった場合は、会社内の個々の組織でより細分化されたミッションを担うはずなので、その細分化されたミッションを実現するにあたっての「自分のありたい姿」を類推しても良いんじゃないかなと。

「人生の在り方」と「会社での自分の在り方」をオーバーラップさせたい人もいるだろうけど、逆に切り離したい人もいるはずで。必ずしも、会社での自分の在り方に自分自身の人生をフル投影する必要はないと考えています。