理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

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考える力

考えることに関する話があったから、自分の考える力のなさに耐えかねて(ref: 2008-03-25 - 理系学生日記 )博士後期課程への進学をやめたぼくが、考えることに関して考えていた内容をまとめてみます。

考えるとはどういうことか

考えることというのは、ドラッガーの知識労働の時代という言葉を借りるまでもなく、現代においても、そしてもちろん過去においても重要だったんだろうなーとか思っています。

ただ、「考える」という言葉自体は、ぼくにとってあまりに抽象的でした。自分には考える力がなかったから、考える力を身につける必要がある。でもそのためには何をすべきなのか、そもそも考えるということはどういうことなのか。自分には考える力がたりねーよなーっていうのは思ってはいたんだけど、じゃぁ考えることって何なのかってところまで至ってなかった。

Stanford University の卒業式でスティーブ・ジョブズが話した中に、"connecting the dots" という話があります。自身の過去に積み重ねてきた一つ一つの経験という点が、振り返ると道になっていたという話です。

今は思うんだけど、考えるということも似たようなものなんじゃないかな。自分の体験した経験とか、本から得た知識とか、そういう一つ一つが頭の中に点として浮かんでいて、考えるって行為はそれらを場合によってはまとめ、結び付けることなんじゃなかろうか。

考えることは万能じゃない

基本、卵と小麦粉なしにケーキを作ることはできません。材料がないからです。足し算とかけ算を覚えたばかりの小学生が可換環を理解することもたぶんだけどできない。抽象化という道具を持っていないからです。

人には材料のない状況から何かを生み出せるほどの力はありません。考えるという行為には無限の可能性がありそうですが、じつは万能じゃない。意味のあることを考えるためには、材料、つなぎあわせるための dot が必要です。そして、どの dot とどの dot をつなぐか、どの dot とどの dot が同じグループなのかを決める道具が必要です。
ぼくが最も考えることを要求されたのは大学・大学院での研究ですが、現代というのは、学生も教授も同じ論文を読めますし、計算機だってスパコンだったり Mac Pro だったりがあり、学生も教員なみの研究環境が構築できます。それでも、学生と教授の研究内容には比較にならないぐらいの差がでてくる。これはなぜか。それはやっぱり、点のつなげかたの能力の違いもあるけれど、それまでに溜めた dot の絶対量の違いというのが大きいとおもうのです。ぼくは今でも教授を尊敬しているけれど、その教授は研究するには論文を 100 は読めって良く言っていた。100 も読んでたら研究する期間なんてなくなりますよ!!って思いながら 100 は読んだんだけど、これはやっぱり考えるだけの材料を溜めておけってことだったのかなと感じてます。

考える力が足りなかった理由

ぼくはずっと自分に考える力が足りないと思いながら修士を過ごしました。でもじつは、考える力以前に考える材料を得るための努力そのものが足りなかったんじゃねーかというのが今の思いです。
努力といったって、ずっと机に張り付いて論文をよみまくる努力じゃない。ジョブズはこんなことを "connecting the dots" の話の中で言っています。

you can't connect the dots looking forward. you can only connect them looking backwards.

先をみて点はつなげられない。だからこそ、そのへんに落ちてる dot を集めるいろんな経験が必要だったと思うんだ。そういうことをせずに机に向かっちゃってしまったから、考える力がないみたいなのに陥っちゃったんだろうなー。

そういや

考える力というタイトルをつけたわりには dot の話ばっかりになりましたけど、これはぼくが、考えるって行為よりか dot を集めることの方が重要じゃないかと思ってるからです。