理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

分からないというのはストレスがたまる

「分かる」というのはとても楽しいものです.分かったと思った瞬間,すでにそこには達成感がある.自分の外側の世界は何も変わっていなくても,何かが分かったことによって世界の見え方がちょっとだけ変わって,またいつもとちょっとだけ違う,新鮮な世界があるみたく感じられる気がします.
学生のときって分かることがたくさんあった.なんでかっていうと,そこが教わる場だったからじゃないかなって思います.そこには体系立った知識がある.そしてその新しいことっていうのは,見事にぼくが分かっている基盤の上に存在するものになっていて,ぼくはそのカリキュラムと,先生・先輩方のリードのおかげで,いろんなことを吸収できた.

今ぼくは,むちゃくちゃ多くの分からないことに囲まれています.それは技術的なことというより,組織の中で生きる上での対人業務だったりです.分からないというのはこんなにもストレスが溜まるものなのかなーって,すごくびっくりしてるところ.A を分かるために必要な B に対する理解がないのに,A が必要とされている.B の理解をしたいけれど,どこに行けばその理解が得られるのかというと「それは経験だよ」みたいな感じで,うひょー!! やばい!!

グーテンベルクの活版印刷がなぜ中学生の社会の教科書に必ず載るような重大な出来事だったかぼくは中学生のころ疑問だったのですが,ドラッガーの著書の中にあったのは,活版印刷によって技能を知識として教えられるようになったからということのようです.それまでは弟子入りして師匠の仕事を見ながら盗むしか技能を身につけるしかなかったものを,技能をまとめたものを読むだけで理解ができるようになった.これは大きな情報革命だと.

たぶんどこの企業にも,どこの組織にも,まだ徒弟制度の中でしか,あるいは経験を積むことでしか分からない技能みたいなものがたくさんあるんだと思います.それが全部書物を読むことで理解できるようになれば,どれだけいいんだろう.その技能を身につけるための経験というものがぼくにはない.分かるための障壁がぼくにはまだ,とても高くて,とても遠くて,それを身につけられるまでの間,ぼくはこれでいいんだろうかとか,これで大丈夫なんだろうとか,ときに先輩を煩わせつつ,悩みながら,自信なく,業務をこなさないといけない.それがとても悩ましいなーと思っていて,こんなまとまりのないエントリとして表面化したという話.