理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

死んだときのことを考えて PhotoShare を使うことにした

ぼくは明日にも死ぬかもしれませんし,みなさんとかも明日に死んでいるかもしれません.
ぼくは忍び寄る死の恐怖と戦いながら毎日枕を涙で濡らしているのですけども,もちろんそんなのはウソで,信じた人はとても感受性が豊かだなーとぼくはいっつも関心しているよ!

死んだときのことを考える

転職を選択肢に入れた上で自社に残る会社員と,転職を全く考えない会社員ではメンタルに差が出てくるように*1,死んだときのことを考えるのはわりかし重要でして,ぼくもこの年の瀬に,元気一杯自分が死んだときのことを考えてみました!!!!

死んだら

ぼくが死んだときのことを考えると,ぼくがしてきたことのうち,皆さんが見てくれたものっていうのは基本的にこの社会に残るんじゃないかと思います.
たとえばこの blog は,はてなが頑張ってくれてるうちは Web の世界に残るだろうし,ぼくの履歴書とかも会社がとりあえず頑張ってるうちはどっかの書類棚にでも保存されることになる.ぼくが使ったバスタオルは,朽ちるか捨てられるまでその姿を留めますし,親はぼくがいたことを死ぬまで覚えててくれるはずですね.

ところがぼくは思ったのですけど,こうやってぼくが思ったことというのは,ぼくが死ぬとこの世の中から消失することになる.ぼくが行った場所,覚えた感動,胸に秘めた出来事みたいなのは,ぼくが記録しない限り,世の中から消えてなくなることになる.
この事実を元にして想像を膨らませていくと,バスタオルですらこの世の中に残るというのに,ぼくの思考だか感動だかというのは,バスタオルよりかこの世の中に必要とされてないということになりやしないか!

記録に残さないといけない

同じ経験をしたって,ぼくが感じることと,みなさんが感じるであろうことというのは全く違ったりする.これはぼくと皆さんの歩んできたコンテキストみたいなのが違うのですから当然ですね.
ですからぼくは,ぼくの経験してきたことが世の中から消えてしまうのはとっても寂しいことだと思います.
そういうことを考えていくと,情報というのは発信者でなく受信者がその価値を判断するものなんだから,ぼくはどんどん発信して,記録していった方が寂しい思いをしなくてすむことになった!!!
よしよし,ぼくはどんどん発信していくぞ.

手はじめに

そういうことですから,まぁ記録していくぞみたいなことを来年の抱負にしても良いのですけども,来年の抱負にしてしまうと今年の残りは何も記録しなくても良いとかいうクサった思考に陥るので,とりあえず手軽な記録ということでムダにガンガン写真を撮って,ガンガン PhotoShare にアップロードをしていくことにしました.
ぼくが死んだときとかに,ぼくの通った人生の軌跡みたいなのがこういう Web の空間にでも残ってるってことは,とてもステキなことだとぼくは思っているのです.

*1:根拠とかは全然なくて,単にカッコ良いっぽかったので言ってみたかっただけだ!!