理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

判断基準に対する自信

いくつかのblogで、第一希望の企業から内定出たよ、との知らせを見ました。相思相愛ていうのはきっとこういうことを言うんですね。おめでとうございます。


本格的な面接シーズンは来月からですが、ぼくはこれまで3社の選考プロセスを進めていて、2つの最終面接、1つの2次面接を終えたところでした。まだ基本的に結果待ちの状態ですが、そのうちの1つの企業から内々定をいただくことができました。


おそらく、今就職活動をしている方々は皆そうだと思いますが、「行きたい度」という名の下に、学生は企業をランク付けしています。数十万、数百万とある企業の中から、その「行きたい度」の上澄みをすくい、エントリーし、面接に臨むわけです。そして、幸いにも複数の企業から内々定をいただいたら、その「行きたい度」によってまた篩いにかけるんでしょう。


じゃぁその「行きたい度」というものが、確固とした基準かというと、それは実に心もとない、砂上の楼閣のように今にも崩れだしそうな基準だと思います。外から、学生という立場から見えるものなんて企業の中身の5%に届くんでしょうか。同じ業種の企業なんか特に、明確な違いなんて見出せることは稀で、5%の中に見出した違い、企業規模であるとか、ブランドであるとか、feelingが合うかだとか、社風の違いだとかを100倍くらいして、「行きたい度」に差をつけてるのが実情なんじゃないかと。


複数の企業から内々定をいただいたとき、その吹けば飛ぶような、根拠のない「行きたい度」によって、自分をほしいと言ってくれた企業を蹴ることになる、そのこと自身に言いようのない違和感を今感じています。選考プロセスが進むと、自然と社員の方、人事の方とも顔見知りになり、気軽に話せるようになります。そんなお世話になった方々の"プライド"を傷つけても良いほど、自分の「行きたい度」というものが確固としたものなのか。{人,プライド}を傷つけるのをわかっていながら、触れば崩れるような根拠を盾にして、自分の基準を信じていいものなんでしょうか。自分の決めた基準ってそんな大層なものなんでしょうか。


人事をしている方のお給料の中には、そういう傷を癒すための治療費ってやつも入っているんだと思います。また、そもそも、学生に蹴られるのは良くあることで、いちいち傷ついていたんじゃやっていられないというのも、確かにそうだと思います。さらに言えば、情実に訴えるのも人事としてのひとつの武器かもしれません。ただ、例えそうであっても、やっぱり自分の決めた「行きたい度」とやらに、そこまでの、人を傷つけることを良しとするだけの根拠を見出だす自信が持てないでいます。自分の決めた「行きたい度」以外に判断基準なんてあるはずがないのに。


「非情になれない、その意味でマネージメント能力ってやつが自分にはまだない」、面接では大抵こう言ってます。今だって自分の進路のマネージメントができていないのだから、間違いなくそれは事実です。それでもなお来て欲しいといってくれたからこそ、悩みが大きくなっているのかもしれません。


人を傷つけても良いだけの確固とした根拠を手にするためにも、もう少し各企業の研究が必要なんだと思います。ただ、どれだけ企業研究を進めても、そこに飛び込む(そこで働く)まで、「行きたい度」が正しかったなんてわかりません。働いたとしてもわからない気もします。けど、自分の感じている違和感をちょっとでも小さくするためにも、人を傷つけることを少しでも自分の中で正当化するためにも、もっと真剣に企業を知ろうと思います。あぁ、複数の企業からいただいているわけじゃないので、のこり全部落ちたりすると人を傷つけることはないかもしれないですね。ただ、その未来は望むところじゃないのですが。