上司から「いま読んでる本がある」と薦められたのが、ブライアン・クラースの『なぜ悪人が上に立つのか──人間社会の不都合な権力構造』でした。
興味深いのは、リーダーである上司が、リーダーシップの問題点について書かれた本を薦めてくれたことです。自分が「上に立つ立場」でありながら、そのポジションが持つ構造的な問題を学ぼうとする姿勢。これって、本の中で語られている「権力の腐敗を防ぐ方法」そのものじゃないかと思いました。
この本を読めば、なぜダメなリーダーが生まれてしまうのか、そしてそれをどう防げばいいのか、その手がかりが見つかるかもしれません。
俺たちの脳はまだ石器時代にいる
読んでみて最初に驚いたのは、人間のリーダー選択メカニズムが石器時代のままだということです。人類史の99.8%は狩猟採集社会で過ごしてきたそうで、僕らの脳は現代社会に適応する時間がまったく足りていません。人類の履歴書を見てみると、「狩猟採集社会: 20万年」「農耕社会: 1万年」「情報社会: 50年」という感じでしょうか。職歴を見る限り、圧倒的に狩猟採集のプロフェッショナルです。
石器時代を想像してみてください。獰猛な動物との戦い、他の部族との争い、過酷な自然環境。こんな世界では、「背が高い」「体格が良い」「男性的な顔つき」というのは、まさに生き残りに直結する資質でした。マンモスと格闘できそうな屈強なリーダーがいれば、部族の生存率は上がります。僕らの脳は、そういう人を「リーダーにふさわしい」と判断する仕組みを持っているようです。
問題は、その判断基準が現代でも働いていることです。アメリカ大統領選では背の高い候補が勝ちやすく、企業でも特定の顔つきの人がCEOに選ばれやすいそうです。でも現代のリーダーに必要なのは、マンモスと格闘する腕力ではなく、複雑な状況を分析する判断力や、多様なステークホルダーの声を聞く共感力のはずです。
僕らはクラウドでデータを管理し、AIで業務を効率化しているのに、リーダー選びだけは旧石器時代の判断基準を使い続けている。まるで最新のスマートフォンで石器時代のアプリを動かしているようなものです。「見た目」という進化の遺物が、いまだに人事評価に影響を与えているわけで。
サイコパスは面接が得意
さらに困ったことに、権力を求める人と権力に適した人が一致しません。これを著者は「自己選択バイアス」と呼んでいます。
これはどういうことでしょうか。あなたの組織でリーダーポジションの募集があったとします。誰が手を挙げるでしょうか? 共感的で慎重な人は「自分にはまだ早い」「もっと適任者がいるはず」と考えて応募しません。一方、サイコパス的な人や自信過剰な人は「俺ならできる」「チャンスだ」と迷わず手を挙げます。
結果として、選抜プロセスには権力を求めるが権力に向かない候補者ばかりが集まります。これは釣り堀というより、特定の魚種だけが集まる生態系です。組織は「今日は良い釣果がありそうだ」と期待しているのですが、そもそも泳いでいる魚の種類が偏っているわけです。
そして、標準的な採用面接は、ダークトライアドの人にとって理想的な舞台になっています。ダークトライアド(wikipedia:ダークトライアド)とは、3つの「ちょっと困った性格特性」のセットです。マキャベリズム(「目的のためなら手段を選ばない」という思想)、ナルシシズム(自己愛が強すぎる)、精神病質(共感能力が低い)。なんとも魅力的でない組み合わせですが、彼らは自己アピール、戦略的な嘘、表面的な魅力の演出が得意です。短時間の面接では、むしろ高評価を得やすいのです。
その証拠に、一般社会ではサイコパスは約500人に1人なのに、企業管理職では25人に1人というデータがあり。統計的に見て、明らかに選抜プロセスが特定の性格特性を優遇しているように見えるわけで。「リーダー募集」という看板が、ある種の人々にとって特に魅力的なシグナルになっているのかもしれません。
権力は本当に人を腐敗させる
「絶対的権力は絶対的に腐敗する」というwikipedia:アクトン卿の格言。これは道徳的な警句ではなく、再現性の高い科学的観察という話もあります。ダーチャー・ケルトナーの研究によれば、権力を持つと人は共感能力が低下し、自己抑制を失い、衝動的になる。さらに、制御できない状況でも制御できると錯覚する「錯覚的制御」により、過度なリスクを取るようになります。
つまり、「正しい人を選べば大丈夫」という希望的観測には限界があるということです。どれほど優れた人材でも、権力というポジションが持つ構造的な影響からは逃れられない。これは個人の問題ではなく、システムの問題。
じゃあどうすればいいのか
絶望的な話ばかりですが、著者は具体的な対策も提示しています。
ひとつは、採用戦略を変えることです。自己選択バイアスに頼らず、適任者を積極的に探して声をかける「プロアクティブ・リクルートメント」が有効だということで。ニュージーランド警察はこの方法で、世界有数の効果的で職権濫用の少ない警察組織を実現しました。権力を求めない人にこそ声をかけ、「あなたに立候補してほしい」と促すことが重要になります。
もうひとつは、監視の方向性を逆転させることです。現代の監視制度は平社員や市民に向けられていますが、本来は権力者を監視すべきだと著者は主張しています。
ここで登場するのが「wikipedia:パノプティコン」という概念です。18世紀の哲学者ジェレミー・ベンサムは、建築の工夫で人の行動を変える仕組みを考えました。それがパノプティコンという円形の監獄で、中央に監視塔があり、周囲に独房が配置されています。
あいつは…マックス・ウェーバーを持ち出された次の瞬間には、フーコーやジェレミー・ベンサムの言葉を引用して返すでしょう。
「システムというよりは巨大な監獄では。パノプティコン…。一望監視施設の最悪の発展形。最少の人数で最大の囚人をコントロールする」
囚人からは監視塔が見えるのですが、監視塔の中は見えません。看守の存在も、監視の有無も、まったくわからない。だから囚人は常に見られていると思って行動するようになります。
この仕組みの面白いところは、実際に監視していなくても効果があることです。「もしかしたら今見られているかも」という不安が、自然と行動を変える。学生時代を思い出してください。先生が教室の後ろに立っているとき、なぜか背筋が伸びたあの感覚です。
さらに興味深いのが、この心理効果が実際の監視回数以上に大きく感じられることです。ニューヨーク市警察が年間約500回のランダムな誠実度検査を実施したところ、警察官たちは実際の12倍もの回数だと見積もっていました。「見られているかもしれない」という不安は、実際以上に大きく感じられる。結果として不正が激減したそうです。
ミシェル・フーコーは、このパノプティコンを単なる監獄建築ではなく、近代社会全体を支配する「規律権力」の象徴として分析しました。学校の出席簿や成績表、会社の勤怠管理や業績評価、病院のカルテ。これらすべてが「測定して、記録して、標準からズレてたら矯正する」というパノプティコン的なメカニズムを持っています。僕らは気づかないうちに、自分で自分を監視し、自分で自分を規律するように訓練されているわけです。
著者は、この監視の方向性が根本的に間違っていると指摘します。現代の監視は平社員や市民に向けられていますが、社会に本当に害をもたらすのは権力者の腐敗です。平社員が会社のボールペンを1本持ち帰ることと、経営層が数億円を着服することを比べれば、どちらの社会的損失が大きいかは明白でしょう。
だから監視の向きを変えるべきで、権力者こそが「いつ誰に見られているかわからない」と感じる必要があるというわけです。権力を持つ人ほど、自分の行動が常に見られているかもしれないと意識することで、自然と行動が変わっていく。
僕らの組織にも監視の仕組みはあります。勤怠システムや業績管理、いろんなログ。でも、それらの多くは一方向を向いている。もし本当に健全な組織を作りたいなら、権力を持つ人ほど、自分の行動を見えるようにすることが大事なのかもしれません。
最後に
この本を読んで、リーダー選びの失敗は個人の問題ではなく、システムの問題でもあるのだなと理解できました。未だに石器時代の脳を持つ僕らは、見た目でリーダーを選び、自己アピールの上手い人に惹かれ、そして権力を持った人は変質していきます。この構造的な課題を自覚し、制度設計で補っていく必要がある。
そして、この本を薦めてられたことについても考えました。 この本を薦めることで、上司は自らを「見られる存在」として位置づけたのかもしれません。知らんけど。
パノプティコンの本質は、実際に監視するかどうかではなく、「見られているかもしれない」という可能性が行動を変えることにあります。上司と部下、僕とメンバー、この本を通じた面白い緊張感みたいなのも、悪くない話だと思います。


