理系学生日記

おまえはいつまで学生気分なのか

「社員の力で最高のチームをつくる―――〈新版〉1分間エンパワーメント」を読んだ

「エンパワーメント」を主題とした本。エンパワーメントとは何かというと、「はじめに」で以下のように定義されている。

エンパワーメントとは、自律した社員が自らの力で仕事を進めていける環境をつくろうとする取り組みです。

また、2章にも以下のように示されている。

エンパワーメントとは、『社員がもっているパワーを解き放ち、それを会社の課題や成果を達成するために発揮させること』です。

最近の精神状態も関係していそうだけど、全体を通してなかなか読むのがつらい本だった。 言っていることは良くわかるし、この本のいうエンパワーメントを実現したいという気持ちもある。 一方でこの本が言っていることと自分の最近の価値観にはそれなりの乖離がある。そしてこの本は、そういうマネジメント層やリーダー層の持つ価値観を入れ替えることを迫ってくるように感じられる。

もし社員が自分で選べるとしたら、立派な仕事をしたいと思うでしょうか、それとも、ほどほどの仕事をしておけば十分と思うでしょうか。

この本は、ある程度の仕事をしておけば十分という考え方を悪だとは言っていない。そうではない。 そもそもとして、人は根源的に「立派な仕事をしたい」と思っているという、美しい世界観が根底に流れている。 そういった世界観を前にして、この社会はそこまで美しいのだろうか、という思いがずっと頭から離れなかった。

肝に銘じてほしいのは、エンパワーメントはトップダウンの取り組みであり、価値観に立脚して進めるべきものだ、ということです。

エンパワーメントの名の下に信じなければならない価値観と今の自分の持つ価値観には隔たりがある。そしてその隔たりが今の自分にwikipedia:認知的不協和を生んでいる。冒頭の「読むのがつらい」はこのあたりが原因。

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。(略) 人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

wikipedia:認知的不協和

たぶんそういう自分の価値観が変わらない限り、エンパワーメントは文化として根ざさない。

あなた自信やあなたの会社のマネジャーのみなさんが変われないのであれば、社員のためにエンパワーメントの企業文化をつくることは難しいですからね

エンパワーメントが難しいのは、こういったところが大きな理由の1つなのではないか。

エンパワーメントは実現までに時間がかかること。そしてたいへん難しいということです。(略) エンパワーメントをめざそうとするとき、古い自分の考え方が邪魔になります。テクノロジーの面では現代的で洗練された世界に住んでいる私たちですが、こと人間や組織については旧弊で稚拙な考えにとらわれているからです。

認知的不協和もあって、本の終盤まで、「このバラ色の世界は本当か」という懐疑的な思いが離れなかった。 今も完全に離れているかというとそんなこともない。相変わらず認知的不協和の状態が続いている。 でも「監訳者あとがき」にある星野リゾートの成功譚に救われた気がする。これがあったから、頑張っていこうかと思えた。